タクスィムで再び騒乱、旅行者も被害
2013年05月06日付 Milliyet 紙

警察は、デニズ・ゲズミシュ、ユスフ・アスラン、ヒュセイン・イナン(訳注:いずれもトルコの左翼活動家で、トルコ国民解放軍の創設者。1972年5月6日に処刑された)を追悼するためタクスィム広場へ出ようとした団体の行く手を遮った。警察は、バリケードを越えようと試みた人々に対し催涙スプレーを用いて阻止した。この衝突の中、数人の観光客が気絶した。

デニズ・ゲズミシュとその友人の命日にタクスィム広場で追悼を行おうとした、学生連合と人民民主会議(HDK)メンバーなど約200人から成る団体は、ガラタサライ高校の前に集合した。

この団体が行進をしながらタクスィム広場に近づくと、警察が行く手を阻んだ。妨害には催涙スプレーも使用された。このスプレーにより、行進参加者だけでなく一般市民や平和民主党(BDP)イスタンブル県選出議員セバハト・トゥンジェル氏も巻き込まれ、被害を受けた。

■タクスィム、再び混乱

警察は脇道へ逃げた行進参加者をドルマバフチェまで追い、そこでも催涙スプレーを用いた。セバハト・トゥンジェル議員は鎮圧の直後、次のようにインタ ビューに答えた。「残念ながらトルコの政治体制では、デニズ・ゲズミシュらの追悼行事に対してさえこれほど激しい攻撃が行なわれる。このような状況は容認できない。彼らは会見を行なって、解散する予定だったが、それすら許されなかった。まさにこうした考え方がデニズ・ゲズミシュ達を処刑に導いたのだ。たしかに現在ならば彼らを処刑することはないかもしれないが、今でも広場を閉鎖し暴力行為が繰り広げられる場所にしようとしている。(今のままでは)若者たちは、この国の伝統的な革命主義に訴えようとするだろう」と話した。

衝突の後、一部の行進参加者が横道を抜けてドルマバフチェへ行進しようとした。警察はそこでも催涙スプレーを用いて妨害した。追悼を行おうとした団体は、ドルマバフチェで短い会見を行なった後、解散した。

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:29879 )