PKKカラユランの「恋人」に重罪求刑
2013年05月22日付 Zaman 紙


ヴァン県共和国高等検察庁は、テロ組織PKK(クルディスタン労働者党; 非合法)構成員による、ユクセクオヴァ郡ダールジャ地区に駐留する第3機動化歩兵大隊司令部に対し行われた、12人の兵士を殺害した2007年10月21 日の襲撃及び、2008年5月9日の17人、2008年10月3日の6人の兵士を殺害したアクチュチュン第13軍警察国境中隊司令部に対する攻撃に加わったジハン・アスとダールジャ襲撃に加わったフェスィフ・タシュに関する起訴状を完成させた。

ヴァン県第5重罪裁判所により承認された12頁にわたる起訴状では、ムラト・カラユランとの精神的に親密な関係にあったことが噂され、イズミル刑務所で他の罪により服役中であるジハン・アスが2007年10月21日のダールジャ襲撃、2008年5月5日と10月3日のアクチュチュンへの襲撃に関与し、 ムシュ刑務所で服役していたフェスィフ・タシュも2007年10月21日のダールジャ襲撃に関与していたことが記されている。

襲撃に関し収拾された情報と文書のほか、証言とその検証とにより作成された起訴状では、テロリストのジハン・アスとフェスィフ・タシュが「国家の一体性と国の 全体性の破壊、テロ組織活動の一環として軍事施設の破壊、テロ組織活動の一環として故意の殺人、テロ組織活動の一環として故意の殺人教唆、テロ組織活動の一環として人間の自由の収奪」の罪を犯したと記述された。

同起訴状では、ジハン・アスに対し「国家の一体性と国の全体性の破壊」の罪で1回、ダールジャ襲撃で8人の兵士を誘拐した罪で80年、12人の兵士を殺害 した罪で12回、25人の兵士に後遺症が残る傷を負わせた罪により25回、2回のアクチュチュン襲撃で23人の兵士を殺害した罪により23回、43人の兵士を後遺症が残る傷を負わせた罪により43回で、合計104回の懲罰終身刑が求刑された。

フェスィフ・タシュに対しては「国家の一体性と国の全体性の破壊」の罪で1回、ダールジャ襲撃で8人の兵士を誘拐した罪により80年、12人の兵士を殺害した罪により12回、25人の兵士に後遺症が残る傷を負わせた罪により25回の懲罰終身刑が求刑された。

3つの異なる襲撃に加わったアスが、1996年にテロ組織に加わったことを自供したテロ組織構成員ザニヤル・ハサン・ネジャトは、共和国高等検察庁に行った供述において、「アスは、3つの異なる攻撃に加わった。2008年の公正発展党ユクセクオヴァ郡支部の建物に対する爆弾攻撃に加わった。2008年から 2009年にはユクセクオヴァ市中心部の零細業者や市民から組織の名の下にみかじめ料を集めた」と述べた。


■ジハン・アスとは?

マルディン県に本籍があるジハン・アス(29)は、1999年にテロ組織PKKに加わった。アスは「ベリタン」のコード名を与えられ、政治的及び軍事的訓練を受けた。短期間で「注目を集めた」アスはザプ・キャンプで「小隊長」となり、カンディルへ移動した。ジハン・アスの「出世」はここでも継続した。女性テロリストはカンディルにおける組織のナンバーワンであるムラト・カラユランとの特別な関係を持つに至った。アスがカラユランとの精神的に親密な関係に あったことは諜報機関報告書やテロリストの供述にも反映されている。テロ組織の「プロパガンダ及びマス・メディア責任者」であったアスは昨年ガンである診断された。これを受けてカラユランはアスを2010年にトルコへ送った。アスが病院で別人のIDを使って入院しているという機密情報を掴んだ警察が実施した逮捕作戦により、ベリタンのコード名を持つジハン・アスと、アスを支援し、匿っていた付き添い人たちを逮捕した。

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( 翻訳者:山口 南 )
( 記事ID:30053 )