デニズ・ゲズミシュ像、再びミーマール・スィナン大へ
2013年05月25日付 Milliyet 紙


ミーマール・スィナン大学芸術学部に5月6日夜に設置され、同日に当局に撤去されたデニズ・ゲズミシュ像が、学生たちによって再び大学に運ばれた。

デニズ・ゲズミシュ像が再び大学に戻った。思想クラブ連盟(FKF)の学生たちは、5月6日に没後41年になる革命家デニズ・ゲズミシュのポリエステル製の像を、ミーマール・スィナン大学芸術学部フンドゥクル・キャンパスの海が臨める場所に設置した。同日夜に大学当局によって倉庫へ撤去され、像は学生たちに 引き渡された。これを再び大学の庭に設置しようと考えた学生たちは、FKFの呼びかけで、昨日(5月24日)の16時ごろ、フンドゥクルのミーマール・スィナン大学芸術学部の前に集まった。

ゲンジョ・エルカル、オルハン・アイドゥン、ソネル・ヤルチュンといった芸術家、インテリ、新聞記者のグループも学生たちを支持した。芸術家を代表して声明を発表したオルハン・アイドゥンは、「芸術学部のような場所に、この像は非常にふさわしいと思います。[デニズ・ゲズミシュ達の襲撃で]1968年アメリカ兵たちが海に落ちたドルマバフチェに、 海峡を臨むデニズ・ゲズミシュ像が建つことは非常に重要な意味を持つと考えています。よって我々はここにいるのです」と語った。

ソネル・ヤルチュンは「この社会では無慈悲な国家という考え方が、ロマンチックで、理想主義的、心を熱く燃やす若者を、常に鈍らなのこぎりで切ってきました。我々はその若者を代表してここにいます。この勇敢な若者たち、この国のために命を犠牲にした彼らにふさわしい大学にこの像を据えるためにここにいます。我々はこの像を実際は我々の意識、心に建てたのです。今度は大学の番です。これを無慈悲な国家という考え方をもつ、いかなる力をもってしても止めることはできません。我々はこのためにここにいるのです。ここにいつづけましょう」と語った。

中東工科大学(OTDÜ)の学生グループもこの行動を支持した。中東工科大のグループは、ミーマール・スィナン大学長のヤルチュン・カラヤーズが、中東工科大での事件の際に自分たちを責めたとことを指摘し、今回怒るのは自分たちの番だと述べた。声明発表後、大学当局と交渉にはいった学生たちは、大学の庭に座り始めた。歌や民謡を歌いながら、長いこと交渉の結果を待っていた学生たちは、像が大学に持ち込まれることを聞かされた。像は18:30ごろ学校に担ぎ込まれ、拍手とスローガンが沸き起こるなか、学校に設置された。FKFのゾザン・バランは、像は約束通りに大学に運ばれ、当局は今週中に(これについて)決定を出す予定であると語った。

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( 翻訳者:鈴木直子 )
( 記事ID:30081 )