タクスィム・モスクはどこに建てられるのか(2日のエルドアン首相のTV発言)
2013年06月02日付 Milliyet 紙

(2日日曜日に)ハベル・チュルクチャンネルの生放送に出演したレジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、ファーティフ・アルタイル記者の質問に答えた。エルドアン首相はタクスィムの建設予定地を初めて発表した。

■エルドアン首相の発表

「タクスィム・モスクの件についてですが、マキシムの脇に建てられます。その敷地全体にです。(タクスィムにある教会とは)反対側にです。発表を行うのは初めてです。関係者や教会の財団と話し合って周辺の全店舗を撤去します。私たちは教会の財団側と話しあいます。財団の財産を公有化することになりますが、その費用はいくらかかっても(かまいません)。あそこにある教会を広場に面した形にしたいのです。その反対側にモスク(を建て)、(教会とモスクが並べば)私たちの文化の姿の見本となります。

私の名前はタイイプ・エルドアンです。首相となったとき、私たちは騙したりも騙されたりもしないと言いました。日付を設定して完成させる、と。トルコには本当の意味での文化的なセンターがありません。そこで、考えているわけですが、(文化的なセンターをつくるという)面をここでの計画に合体させましょう。おそらく国際的なコンペで素晴らしいプロジェクトができるでしょう。

■「この事件と民主主義は関係がない」

ここの歴史は1780年に遡ります。セリム3世の時代、ここには砲兵隊の兵舎がつくられていました。この砲兵隊兵舎の建物は非常に優秀な建物でした。この建物はリュトフュ・クルダルが知事をしていた時代まで残っていましたが、その後、取り壊されてしまいます。かなりの部分が取り壊された後、タクスィム競技場の資材として使われました。その後、今日のイノニュ・スタジアムの場所にもっていかれました。

現在、我々の目の前に再びイノニュ・スタジアム再建問題もあります。私たちは必要な支援を行います。きっと新しいイノニュ・スタジアムが建てられることになるでしょう。

ゲズィ公園に関する事件で、私がイスタンブル広域市市長のときに、その建設計画が私の手元に来ました。当時の中央政府は、私を助けてくれませんでした。そのため、私はその計画に着手しませんでした。あきらめました。首相になって建設計画のことをチェックし、ダメならやめようと思いました。しかし手元にある建設計画は秀逸です。私は言いました、こういう事業がタクスィムにできるなら、緑地にもなる、と。歴史と文化を手に入れ、歩行者天国にもなると。

我々の目標は以上です。三つ四つの建物を建て替えるだけで、多くのことを達成できるのです。自然、歴史、歩行者天国、(新)アタテュルク文化センターによって我々が提供しようとしているのは新しい美学です。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:小川まどか )
( 記事ID:30184 )