ベシクタシュのベズミ・アーレム・モスク、野戦病院に
2013年06月03日付 Radikal 紙
デモ参加者らがモスクを2日間にわたり負傷者の治療のための応急救護所として使用し、またそこに催涙ガスから逃れ、避難してきたことについて、モスクのイマームがラディカル紙に話した。
タクスィムで始まったゲズィ公園抗議運動で最も影響を受けた場所の一つはベシクタシュであった。ベシクタシュからタクスィムに向けて行進しようとしたグループは、ここで3日間警察に妨害され、ドルマバフチェからユルドゥズにかけての道で衝突が起きている。多数のデモ参加者が負傷したこの衝突において、ドルマバフチェにあるベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・モスクはデモ参加者らによって応急救護所とされた。2日間にわたりモスクを救護所として使ったデモ参加者らは、モスクのイマームが行った交渉の結果、警察がモスクのある場所から遠ざかったことにより、今朝3時半にモスクを離れた。
デモ参加者らがモスクから離れてまもなく、ソーシャルメディア上で広まった、ドルマバフチェのベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・モスクにて撮影されたとされる1枚の写真が議論を呼んだ。それによれば、負傷者のために救護所として利用されたドルマバフチェにあるベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・モスクに、デモ参加者らがが土足で上がりこみ、中でビールを飲んだという。しかしモスクにいたデモ参加者は、負傷者を運び込む以外に、モスク内にはもともとデモ参加者を入れておらず、モスクには医療関係者と医者がいただけであると話した。問題の場所でナズム・セルハト・フラト氏が撮影した写真には、意識を失った負傷者以外のデモ参加者は、土足ではなかった様子が写っている。
我々も状況をベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・モスクのイマームに尋ねた。名前を伏せて質問に答えたイマームは、警察とデモ隊の間で交渉役を務め、デモ参加者らが朝3時半にモスクから出られるようにした、と話した。イマームは、警察の噴射した催涙ガスの影響から逃れるためにデモ参加者らがモスクへ避難してきて、そこに医療物資を運び入れ、医療関係者が負傷者を介抱していたと話し、デモ参加者らはモスクへ土曜日の夜の礼拝の後やってきたと述べ、次のように続けた:「警察が追跡していた大きなグループがドアをこじ開けて中に入ってきました。そうはさせまいとドアを閉めようとしましたが、かないませんでした。この2日間のうちに負傷者に手当てがなされました。警察の催涙ガスから逃れてきた人もやってきました。モスク内のカメラが破壊されました。」
■仲介を行った
デモ隊をモスクから追い出すために警察と交渉を行ったと語るイマームは、「デモ隊グループと警察の間で仲介役をしました。警察の撤退をうながし、デモ隊が外に出ることを助けました。どうかこの騒動が終わりますように。平穏が訪れますように」と話した。
今のところモスクは礼拝を行っていないと述べたイマームは、「モスクで警察が検証を行うのを待っています。警察の検証が行われてから礼拝を再開しようと思います」と話した。
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( 翻訳者:池田桃香 )
( 記事ID:30200 )