日曜タクスィム大集会、メッセージは「公園に手を出すな!」
2013年06月10日付 Milliyet 紙
06.10 02:30
タクスィム・ゲズィ公園のための最大の集会に、何万人もの市民が参加した。さまざまな思想、さまざまな年代層のグループが一同に会した広場では、色とりどりの光景がみられた。集会では、「共同の抵抗」というメッセージが叫ばれ、「要望が入れられるまでタクスィムにいる」という言葉が飛び交った。
タクスィム連帯プラットフォームの呼びかけで、昨日(9日)タクスィムで催された集会には、何万ものイスタンブル市民が参加した。ゲズィ公園抗議の13日目にあたるこの日、7才から70才にいたる様々な年代の人々の叫んだ言葉は、「公園に手をだすな!」の一言だった。様々なイデオロジーや「色彩」が一か所に集まった集会での重要な呼びかけは、対話の呼びかけに政府が答えることだった。この事件がもとで亡くなった人のために、1分間の黙とうも行われた集会では、民族主義のグループと平和民主党のグループの間で、短時間、いざこざもあった。
ビュレント・アルンチ副首相に伝えられた要望が受け入れられていないとし、タクスィム連帯プラットフォームにより、昨日、タクスィム広場で集会が開催された。何日もバリケートによって自動車の交通が遮断されていた広場は、この集会のため、午後から次第に混雑しはじめた。様々な市民団体や、商工会議所、協会、政党が組織した集団が、ガラタサライの方から行進し、広場に入った。集団の行進の際に一部のバリケートは撤去された。
集会数時間前には、公園はいっぱいになり、この事件の最中に亡くなったアブドゥッラー・ジョメルトさんとメフメト・アイヴァルタシュさんのために1分間の黙とうがささげられた。ハタイでのデモの最中に怪我をし、その後病院でなくなったアブドゥッラー・ジョメルトさんが、あるサイトに送った最後のメッセージが読み上げられた。「どこもタクスィム、どこでも抵抗」のスローガンが高まる広場では、アンカラでの運動に対しても、スローガンで支持が示された。
広場の真ん中につくられたステージには、最初にBandistaが登場した。このグループの演奏のあと、建築家会議所評議員のムジェッレ・ヤプジュ氏が、タクスィム連帯プラットフォームの声明を読み上げた。その後、ステージには、Kardeş Türkülerが登場し、彼らの曲にあわせて何万人もの人が歌をうたった。次には、ゲズィ公園運動に関するビデオクリップで大きな反響を生んだボアジチ・ジャズコーラスが登場した。最後に、Mor ve Ötesiが登場した。Kardeş Türkülerの、「鍋とフライパンの唄」のときには、広場に鍋とフランパンを叩く音がこだました。
集会では、平和民主党支持者のグループと、民族派のグループの間で衝突もおきた。アブドゥッラー・オジャランの写真もある旗がふられたことに反発した一部の人々は、タクスィム連帯プラットフォームや責任者らに、この状況をやめさせるように求めた。この緊張の最中には、水の詰まったペットボトルがとびかった。負傷者もでたが、この喧嘩は、タクスィム連帯プラットフォームのメンバーが間に入ることで収められた。
■メモ
* 集団でタクスィムに行進した、ベビーカーや杖をもった様々な年齢の人々からなる群衆は、昼以後、タクスィムに至る全ての道を埋め尽くした。地下鉄やバスに乗りきれなかった人々が多数でて、広場には立錐の余地もなかった。
* タクスィム広場は、ゲズィ公園がそうであるように、カーニバルの様相を呈した。トルコ国旗、(サッカーの)ガラタサライ、フェネルバフチェ、ベシクタシュのユニフォーム、大学生や高校生、労働組合や市民団体の旗が、広場を色とりどりに埋めた。手に手に、トルコを代表する証明(のような旗)を持った参加者たちの、太鼓や笛、拍手の音の間で掲げる共通の望みは、ゲズィ公園の再整備をやめされることだった。
* 一部の市民がタクスィムで続いている歩行者天国化の工事現場に入り込んだことは、けが人を生む原因ともなった。工事現場を歩いた一部の人には、転落の危険があった。
*集会には、 自由民主党、労働党、平和民主党、人民民主会議、人民救済党、トルコ共産党、労働者党、抵抗連合、トルコ革新労働組合連合、公務員組合連合、フェミニスト連合、「民衆の家」組織、LGBなどの、多くの市民団体が参加した。
* 広場では、「どこもタクスィム、どこでも抵抗」、「民衆の連帯、ばんざい」、「これは始まりだ、戦いは続く」のスローガンが叫ばれた。
(本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。)
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( 翻訳者:和泉由美子 )
( 記事ID:30323 )