タクスィムにあるゲズィ公園の木々を切り倒してショッピングモールを建設すると言う議論で全ては始まった。19日間続いた抗議運動は、警察の介入によって鎮圧された。後に残ったのは大量の出まかせ情報、何百万ものツイッターのポスト、そしてこの事件にまつわるユーモアの数々。それではゲズィ公園事件のあらましを見てみよう。
全ては5月27日、ある環境活動家グループがタクスィムで抗議運動を開始したことから始まった。抗議運動は19日間続き、警察の介入によって終結した。もちろんこの19日間には様々な出来事があった。世界中の注目がイスタンブルに集まり、このプロセスでトルコは多くの経験を得た。新たな概念が生まれ、国を動かしていく新たな力を目の当たりにし、次々と共有される嘘の情報が社会をいかに刺激するかを学んだ。国際社会の中での信用を失ってしまったと言う人もいれば、全世界がトルコの若者が自分の意志により何を行うことができるかを目撃したと言う人もいる。最初の一日二日に抗議運動を実行した人々は環境活動家グループであったが、事態が進むにつれ運動は反政府運動に変わり、本来の趣旨から外れた。何十もの人々が負傷し、拘束され、逮捕され、4人が命を落とした。また私たちはSNS上でユーモアを交えた発言だけでなく、口に出すことが憚られるような罵倒も見てきた。
常に外国やPKK(クルディスタン労働者党)が国を混乱に陥れようとしていると言われていたが、私たち自身がこの国の平和を壊しうることを知った。
■ゲズィ公園についての社会的評価
SNSの影響力は否定できないし、実際タクスィム事件でその状況は急激に高まった。19日間のプロセスで、SNSがなければおそらく事件はこれほどまでに扇動されることはなかっただろう。ニュース局が特に最初の数日間、生中継をしていないときも、ツイッター上ではひっきりなしに情報が流されていた。これらの情報の一部は不正確なものだったが、それすらも光の速さで拡散された。抗議運動が始まってから今までに1億4379万5千件のツイートが投稿された。ツイート内容を共有し、書き込みを行うユーザーも増えた。5月29日におよそ180万人だったトルコ人のツイッターユーザー人口が、6月10日には950万人にものぼった。
装甲車に押しつぶされた若者の写真や、負傷者に支援をしている医師たちが拘束されている、火炎瓶を投げたり爆竹を放ったりする私服警官がいるなどという情報は、国民を冷静でいられなくした嘘の情報の、ほんの一部に過ぎない。エルドアン首相がスピーチで「ツイッターというやっかいなものがある」と発言した後、ツイッターが禁止された、あるいは禁止されるという議論が起きた。社会的な事件の発生に際して、国によってはツイッター禁止措置が施行されたこともないではない。例えば、イギリスはG8への抗議デモを理由にツイッターに規制を課した。抗議運動家達のツイートはアップロードされず、今では衝突より以前の書き込みだけを見ることができる。
このツイート爆弾に翻弄されたことで私たちは新たな顔ぶれを知り、新たな概念を定着させた。これこそが、ゲズィ公園事件の後に残ったものである。
■注目の人物
あらゆる集会や抗議運動やデモと同様に、ゲズィ公園運動でも注目を集める人々がいた。ある人たちは真実、抗議運動を自然保護目的で開始した。ある人たちは便乗して集まり、またある人たちはふとしたことから話題となって事件に巻き込まれた。こういった人々のうち、最初に思い出すのは、「我々はムスタファ・ケセルの兵である」というスローガンと共にその名が壁に書かれたムスタファ・ケセルだ。このユーモアにあふれる民主主義の主張は、抗議運動中でもっとも秀逸なスローガンの一つであった。人々の苛立ちも鎮めたにちがいない。その他に注目を集めた人物は俳優組合の、メフメト・アリ・アラボラ会長だ。抗議運動初期の頃に彼が投稿した、「問題はゲズィ公園だけではないのです、まだ分からないのですか?さぁ来てください!」というツイートは、大変話題となった。俳優のレヴェント・ユズムジュ氏がテレビで行ったさまざまな発言からも、彼がこの事件の立役者の一人であったことが分かる。ゲズィ公園のシンボルともなった「赤い服の女性」も忘れてはならない。警察の介入の際、催涙ガスの被害を受けたジェイダ・スングルさんは、自分の身を守るため暴力に訴えることをしなかったという。
共和人民党所属でトゥンジェリ県選出のヒュセイン・アイギュン議員も議員と言う立場を気にせずたくさんのツイートを投稿した。彼は警察が罪を犯しており、テロ組織のように振る舞っているという主張を展開した。ムスタファ・サル警部がアダナ県でのゲズィ公園デモへの介入を命じられ、任務についている時に橋の建設現場から落下して殉職した後の、アイギュン議員のツイートは、皆を驚かせた:「レイハンルの報いだ。」アイギュン議員の怒りのツイートは平和民主党のセラハッティン・デミルタシュ党首にすら及んだ。アイギュン議員はデミルタシュ党首に向けて、ツイッターで「お前はイスラームの旗の、我々は新月旗のもとにいる」と発言した。
抗議運動の初期からそのコメントで話題となった、もう一人の人物の名前はイフサン・エリアチュク氏だ。彼は大量の嘘の情報や写真を共有していたが、「この写真は古い、お前は扇動者だ」という反応を受けていくつかのツイートを削除した。「サラート(イスラムの礼拝)は礼拝ではない。儀式だ」と発言したにもかかわらず、タクスィム広場で繰り返し2週間金曜礼拝をしていた。
パチンコで警察に鉄の球を当てているところを写真に撮られた53歳で白髪の「パチンコおばさん」も注目を集めたひとりだ。警察は、このエミネ・ジャンセヴェルさんが革命人民解放党戦線(DHKP-C)のシンパであり、シヴァス革命労働者運動のメンバーであることを確認している。
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この社会的な事件に強い関心を示したベシクタシュのサポーターグループ「チャルシュ」は、ゲズィ公園でその立場を明らかにした。グループのスポークスマンであるビュレント・エルゲンチ氏は公園で酒の販売をしたがっている人々の一人に刃物で刺された。
この事件のさなかに、我々はある人物とも知り合った。それだけでなく、彼の電話番号さえ知ることとなった。その人物とは、ヒュセイン・アヴニ・ムトゥル・イスタンブル県知事のことだ。彼は抗議運動の初日からずっと大量のツイートを投稿し、特にSNSで共有された嘘の情報について世論に知らせた。彼は毎晩眠れないことをツイートし、抗議運動の参加者と一晩中面会もした。ついにはあるツイートで自分の携帯の電話番号を全世界に発信した。
■新しい言葉
「ならず者」:ゲズィ公園事件では多くの言葉が定着した。中でも一番用いられたのは「ならず者」という言葉だろう。タイイプ・エルドアン首相がアダナで国民に向け、「私たちは一部のならず者の様な行いはしない」と発言したのち、ユーモアにあふれた人々は活気づいた。「我々は皆ならず者である」というスローガンが叫ばれ、「右翼でもない、左翼でもない、ならず者だならず者」という横断幕が吊るされた。「お前はならず者かvay vay、抗議者かvay vay」という歌が歌われた。「毎日ならず者してる」という言葉も最も印象深いフレーズの一つとなった。
「TOMA」:この抗議運動のプロセスで記憶に刻まれたもう一つの言葉は、「TOMA」(暴動鎮圧用車両の頭文字から)だ。今日までに何十ものデモや抗議行動があったが、TOMAがこんなにも身近にあるものだとは、我々も気付いていなかった。新たな発見かもしれないが、TOMAもトラックのように所有し、車体の後部に言葉を書けるなど、考えられないことだった(訳者注:上述の「チャルシュ」が、TOMAを売りに出すという(当然嘘の)広告をネット上に掲載したことから、TOMAを所有したら後部に書く言葉として、多くのユーモアあふれる投稿が寄せられた。以下、その一例。):「抗議に熱くなっても涼をとってください」、「私はバリケートの職人で、催涙ガスの病気です」、「抗議者も好きだった」、「おまえはTOMAだからと言って、娘をあげなかった」、「抗議者なら石投げろ、警官ならガスを撒け」、「ガレージじゃなく、バリケートで死のう」、「催涙ガスは行き先を問わない」、「出席者のいない結婚式とTOMAのない抗議運動はあり得ない」
「#立つ男」:上は白いシャツ、足もとに黒いリュック、動かずにただじっと、そうやって立っている人々・・・。おそらく5分ほど、もしかしたら数時間ほど。この静かなる無言の抗議は、様々な映像で見られた。立つ男がいるならば、立つ男に抗議する立つ男がいてもいいではないか?ゲズィ公園の木陰で、座り込んで本を読んでいる警官たちだっていたのだ・・・。
「プレビシットPlebisit」:ほんの数日前に登場した言葉がこれ。「国民投票」と言う意味だが、ここでは、イスタンブルの人々がゲズィ公園をどう保護するかに関する投票をさす。このプレビシットと、同じ意味を持つ「レフェランダムreferandum」との違いを、トルコ大国民議会憲法委員会のブルハン・クズ委員長はこのように説明する:「「レフェランダム」は憲法や法律の可否を問うものであるのに対し、「プレビシット」はある問題について、国民の意見を諮るものである。「レフェランダム」の結果は法的拘束力を有するのに対し、「プレビシット」の結果は法的拘束力を有しない。」
「助けて、ドログバ」:ゲズィ公園の抗議運動中、いたる所の壁に「助けて、ドログバ」の文字が書かれた(訳者注:ドログバとはガラタサライ所属のサッカー選手、ディディエ・ドログバのこと)。「助けて、サルギュル(訳者注:シシュリ区長、ムスタファ・サルギュルのこと)」という言葉にひらめきを得て書かれたこれらの落書きを受けて、人気サッカー選手は、驚きを隠さずにインスタグラム(iPhonのアプリケーション)のアカウントで1つの画像を共有し、次の様なメッセージを発信した:「タクスィム広場にドログバあり!どんな言葉でも、辞書でも、本でも説明できない。サッカーはとても重要なもの、ここはトルコだ!!!」
「ヴァンダリズム」:タクスィムでの事件で声高に叫ばれた言葉だ。この言葉の意味は、古い文化や芸術の記憶を焼き崩すもの、またそれらの価値が分からない人や社会のことである。タクスィムで示された行動がヴァンダリズムと言えるかどうか議論すればいい、この言葉はとっくに人々の間に定着しているのだから。フランス革命時に生まれたこの概念は、今後行われる抗議運動において、さらに頻繁に使われるに違いない。
「モスク-酒」:タクスィムで負傷した人々が、ドルマバフチェのヴァーリデ・スルタン・モスクで治療を受けているところを撮影した写真がネット上に広まった。モスクに土足で入り、不道徳な行動が見られたと主張された。一番議論の的になっているのは、モスクで酒を飲んだか否かということである。しかし今のところ、抗議者らを非難する人々の主張を裏付ける写真は出ていない。
■外国メディアはどう報じたか
この抗議運動のプロセスで、もっとも話題になった、あるいは非難されたテーマの一つは、外国メディアによる事件の報道姿勢だった。特にCNNインターナショナルやBBCは、連日何時間も抗議運動の様子を生中継した。トルコ国外でこれらのテレビ局を通じてトルコの動向に注目していた人々が、トルコは内戦状態にあると考えてしまうことは避けられなかった。SNSサイトで嘘の情報が共有されたことや、一部の記者の外国メディアへの発言も事件に関する誤った認識を促したに違いない。テレビ報道や新聞では扇動的な言葉が踊った:「トルコは燃えている。暴力は、公園に母親や子供がいる時も行われた。警察はテントや救護テントを警棒で取り壊し、エゲメン・バウシュEU担当相は『近付いたものは誰であろうと、警察からテロリストとして扱われるだろう』と述べ、警察はトゥナル地区で行われた平和的なデモを野蛮なやり方で解散させた。」
トルコのイメージを揺るがすこの姿勢は、トルコ人の反発を招いた。一部の人々はトルコで戦争が起こっているかのように報道するテレビ局の前で、抗議デモを行った。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:山本涼子 )
( 記事ID:30533 )