1980年クーデター前の「国内危険分子報告書」公開―「クルド諸部族は信頼できない」
2013年07月10日付 Radikal 紙

1980年9月12日クーデターの3日前に準備された「国内危険分子報告書」では、クルド人を「本来、彼らは同化されたトルコ人である」とする評価が示されている。クルド諸部族に関してはそれぞれ、「彼らの誠実さは信頼できない」「反乱者」とのレッテルが張られている。

「国内危険分子報告書」において、クルド人に多くのページが割かれている。クルド諸部族に「反乱に加わった」、「かれらの誠実さは信頼できない」、そして「トルコ人の敵」といったレッテルをはり、詳細な分析を行っている。
「クーデター関連メモ」でのクルド人に関する部分の要約は以下の通り:

■ 本来はトルコ人:

クルド人であるとされて我々の社会から切り離そうとされている東部・南東部の同胞は、ともかく大部分がトルコ人の血を引くものである。
元々はトルコ人の血統に由来していることが現在証明されているこの同胞らは、逆方向に働いた同化の結果、現在別の言語を有することになったのだ。
小規模のマイノリティはというと様々な民族集団が混ざり合って、ナショナルアイデンティティを獲得したものである。
わが国でも「クルド」と呼称される国民の大部分はスンニー派であり、法学派としてはシャーフィーイー派である。また一部はアレヴィーである。
少数ではあるがハナフィー派の者たちもいる。アレヴィーはトゥンジェリ県、ビンギョル県、エルジンジャン県、エラズー県、マラティア県に多くいる。

■4つの方言がある:

東部、南東部の人口の36%はクルド語を話す。4つの方言がある。この方言とはクルマンチ方言、ルル方言、ゴラン方言、ソラン方言である。
わが国で話されているのはゴランとクルマンチ方言である。ソラン方言はデルスィム・ザザ語とドゥムビリ・ザザ語に分類される。ザザ語はトゥンジェリ・パル、シヴェレッキそしてディヤルバクルの一部地域で話されている。そのほかの地域ではクルマンジュ方言が話されている。
ハイマナ、チョルム方面でもソラン方言が話されている。クルマンチ方言は東部、南東アナトリア地方でだけではなく、シリアのジェジネ地域、イランの西部地域の大部分で、またイラク北部でも話されている。

■指導権争い:

分離主義組織同士の間で明確な意見の相違(対立)は、基本的部分では非常に小さいこととは対照的に、相違点(対立点)の数からいえばかなり多いことが注目される。このように、運動方針において、特に指導部メンバー間の個人的な指導権争いが重要な役割を持っていると評価されている。このような組織間の指導権争いが解決に至った後は、クルド主義組織のわが国に対する活動が方向性を変え、増大する可能性が大きいと考えられている。

■組織についての分析

報告書におけるクルド組織についての考察は以下のとおりである。

・トルコ・クルディスタン民主党(TKDP):1950年代初頭以降、トルコ・クルド民主同盟(KDF)創設するために活動を再開した。初代事務長としてブジャク族族長の一人であるファイク・ブジャクが就いた。ブジャクが殺害された後はサイト・エルチが就いた。

・シュヴァンジ派(タラバーニーの支持者):1958年頃TKDP内で頭角を現したサイト・クルムズ・トプラク支持者たちによって結成された。シュヴァンとは、サイト・クルムズ・トプラクのあだ名である。シリアに拠点をもちロシア寄りであるタラバーニーと関係者である。

・自由主義の道:シュヴァンジュ派と共に最もロシア寄りである。アルメニア・テディシュ組織と接近しようとしているという情報がある。

・カヴァ:1976年頃現れた。反ソ勢力が、この時期にカヴァ出版社の周りに集結していた。

・アラ・ルズギャーリー(赤い解放):タラバーニーやロシアにより近い見解を持っている。分離を主張する理由の1つが、反毛沢東主義。

・5つの分離派(ベシュ・パルチャジュラル):1976年に現れた。このころ、「人民の解放(ハルクン・クルトゥルシュ)」派から分離したアリ・ルザ・コシャルとその仲間によって結成された。オジャラン派と衝突したこの2つのグループは、お互いを挑発行為で非難した。

・KUK(クルディスタン民族解放主義者):イラクにおける1975年の(権力闘争の)敗北後、TKDP(トルコ・クルディスタン民主党)の中で、ソ連から支援を得ることを主張するグループが現れた。その後、このグループは自らをクルディスタン民族解放主義者(KUK)と名乗り、イラク・クルディスタン民主党(イラクKDP)の米国との協調政策に反対し、ソ連との協調を進展させる政策を主張している。

・クルド人民解放軍(KHKO)-民族解放軍(UKO)-クルディスタン労働者党(PKK):
一般にはアポ主義として知られている。この名前は創設者であるアブドゥッラー・オジャランの名から取っている。1977年以降東部で影響力を行使し,政治的武装闘争を開始している。クルド主義の諸組織を含め、彼ら以外のあらゆる者を敵と宣言し,武力衝突を開始した。同組織から脱退した者をも殺害している。ソ連派である。

■ クルド諸部族の構成人数および宗派

報告書では東部・南東部のクルド部族一つ一つに焦点を当てている。報告書では各部族は「反乱に参加している」、「懐疑的」、「政府に協力的」として分類されている。どこで居住しているか、大体の人口などが記載されている。報告書によるとビュンヤニシ族のみが政府寄りであるとみなされており、ディリ族やザルザン族の状況は「懐疑的」であるとされている。残りの全ての部族は「反抗的で、誠実さは信頼できない」として分類されている。報告書における関連部分の要約は以下のとおりである。

ジェラーリ族: カラキョセ、パトノス、ドーウベヤズット、カルスと北部地域において生活している。合計人口が11万2,700人であり、ビリカンル、ジニカンル、バルカンル、ケンディカンル、サッカンル、アルマハル、ブルクカンル、ゲルトゥリ、ハッソ・ソラン、ハイダランルの各氏族から成る。アール、ズィランの反乱に参加した。「信用できない」として評価された。シャーフィーイー派である。

ドスキ族: ハッキャーリ・ユクセクオヴァ地域で生活している。オラマンの反乱に参加した。「誠実さは信用できない」として分類されている。シャーフィーイー派である。

ディリ族: ユクセクオヴァ・エセンデレ地域におり、人口は7,500人。反乱に参加した部族である。
「誠実さは信用できない」として評価されている。シャーフィーイー派である。

ヘルキ族:ハッキャーリ・シェムディンリ地域におり、おおよその人口は7,000人ほどと推定されている。誠実さは信用できないとして評価されている。シャーフィーイー派。

バトン族:バシュケレ・ヴァン地域にいる。おおよその人口は7,000人。反乱には参加していない。国家に反抗的な態度により「誠実さは信用できない」に分類されている。シャーフィーイー派。

シュカク族:バシュカレ・オザルプ・ユクセクオヴァ・サライ地域にいる。おおよその人口は1万人前後である。反乱に参加していない。国家に反抗的な態度で「誠実さは信用できない」と評価されている。シャーフィーイー派。

コタンル族:カルス・ウードゥルからイランにかけて居住しており、イランのマキュ周辺に同名の部族がおり、シャーフィーイー派でバルザーニーを支持する。この部族はトルコの敵として評価されている。アールの反乱に加わった。

キュルセンリ族:ヴァン、オザルプ地域におり大体の人口は7,000人。反乱には加わっていない。

ミラン族:オザルプ地域におり、大体の人口は6,000人。反乱に加わった。誠実さは信用できないと評価されている。シャーフィーイー派。

エルトゥシ(ジルキ族):ヴァン・ハッキャーリ地域におりおおよその人口は2万4,000人と推定されている。ベイトゥシュシェバプの反乱に加わった。シャーフィーイー派で誠実さは信用できないとして評価されている。

ムルキ族:ヴァン、オザルプ地域にいる。おおよその人口は1万1,000人である。これまで反乱に加わったことはなく、シャーフィーイー派。国家に反抗的な態度で誠実さは信用できないとして評価された。

ゴラン族:アルダハン、カルス地域にいる。おおよその人口は7,000人。これまで反乱に加わったことはない。国家に反抗的な態度で誠実さは信用できないとして評価された。ハナフィー派である。

アドマン族:アール、ヴァン地域におり、おおよその人口は8,000人である。これまで反乱に加わったことはない。国家に反抗的な態度で誠実さは信用できないとして評価された。シャーフィーイー派。

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( 翻訳者:山口 南 )
( 記事ID:30770 )