ソフィアからアヤソフィアまで徒歩旅行
2013年07月28日付 Zaman 紙

ニコン・グレールム氏とスヴェン・ジェンセ氏は、オスマン帝国の歴代スルタンのイスタンブルからソフィアまでの旅路を綴った本を手に、歩いて出発した。途中で一頭のロバが仲間に加わった。彼らは歩き続け、800キロを50日で踏破した。

ニコン・グレールム氏は写真家でグラフィックデザイナー、スヴェン・ジェンセ氏は映画製作者、ライターで政治学者だ。オランダで週一日、洞窟レストランで特別な客のために特別な料理を用意しているときに、彼らは自分たちが長い旅路に出たいと思っていることに気がついた。この旅を一緒に実現することで精神的な満足を得ることができ、頭の奥深くにひそむ問題について思考し、考えを共有できると予想した。彼らはこの旅を、いかなる交通手段も使わずに、昔の人たちのように、歩いて実現させようと計画する。これを決めた後は、歩く道と資本を見つけなければならない。探してみると、彼らの前にある本が現れた。小さな案内書だった。オスマン帝国の歴代スルタンが行った旅で、首都のイスタンブルからブルガリアの首都ソフィアまで続く道のりを説明するこの本を携えて、彼らは出発した。

■資本はパンケーキ用のフライパン

ルートは明らかだが、物質的な資源も必要だ。彼らは、歩きながら距離を縮めていく旅人の多くがやったように、道中で寄った村の人たちの客人になりたいと考える。しかし客人になることを小さな取引にする必要もある。取引で使われるお金の一つは知識だ。彼らが最もよく知るものの一つは料理であるが、すべての知識のようにこれも交換することができるだろう。彼らは特別なパンケーキを作るのに使うフライパンを取り出した。道中で彼らが世話になったすべての家の人たちに、このフライパンでポッフェルチュスパンという名前のパンケーキを作り、お返しに彼らは、その地方の料理のレシピを実践的に学ぶことにする。
ポッフェルチュスパンと地方の料理を食べた後、カバンにしっかりと括り付けられたケマンとマンドリンを取り出し、地方の人々の楽器と歌に合わせて演奏し、最後にこうしてお互いに貸し借りをチャラにしたことになるのだ。

ニコンとスヴェンは、800キロを50日で歩いた。ジプシーの跡を追い、彼らのように生き、彼らのように感じようとしたこの旅で、トルコ国境に入った後、彼らのもとに新たな仲間が加わった。彼らがジャッキーと名付けた仲間だ。ブルガリアにいた時にあるロバをグループに入れたいと思ったが、適切な仲間が見つからなかった。トルコのもう一つの村で人々がお互いに連絡を取って、「知っているロバ」がいるか尋ねた。少ししてジャッキーが来た。3歳の若く健康な仲間だった。これで道のりはもっとずっと楽になった。荷物を運ぶ必要がなくなったからだ。この長い旅で多くの人と知り合い、多くの家の扉が開かれ、新たな料理や音楽が見つかった。旅路もとうとう終わった。旅の目的はアヤソフィアの壁に触れて、帰ることだった。ラマザン月の真ん中に、彼らはこの旅のトルコ部分を完了したことに満足してアヤソフィアの壁に触れた。イスタンブルにも少し滞在し、家に帰るために出発した。

ニコン・グレールム氏とスヴェン・ジェンセ氏が道中で学んだ料理のレシピはノートに、音楽は耳にまだ残っている。故郷に辿り着いた後は本の執筆を望んでいる。音楽と物語付きの料理本だ。ジャッキーがどうなったのか興味がある人のために、彼についても話しておこう。ニコンとスヴェンがアヤソフィアのあるスルタンアフメト広場に着いた数分後、ある男性が彼らに近づいてきた。男はジャッキーがどれほど素晴らしいロバかを話し、鼻にキスをした。その後、スイカ売りからスイカの皮を持ってきて、手で食べさせた。ロバの面倒を見るのにいい場所があると彼は説明し、ジャッキーを自分に売ってくれるかどうかを尋ねた。30分後、幸せなロバと善良な男性は、2人に背を向けて一緒に去っていった。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:30992 )