クルチダルオールCHP党首、エルゲネコン判決批判「あれは法廷ではない」
2013年08月07日付 Radikal 紙


共和人民党(CHP)のケマル・クルチダルオール党首が、エルゲネコン裁判の判決を論評した。

クルチダルオール党首は、エルゲネコン裁判の判決について「スィリヴリ裁判所は、非常事態(クーデター)時代の産物であり、この裁判所の決定は合法とは言えない」と評した。

クルチダルオール党首は、地方・地域テレビ委員会(YBTB)のシェイダ・アチュクコル会長や、YBTB所属の県代表らとの断食明けの夕食会に登場した。食事会のあとクルチダルオール党首は、新聞記者のインタビューに応じた。

同党首は、報道の自由の必要性、この点で報道・広告協会を再構築する必要があるとし、エルゲネコン裁判に関して次のように話した。

「イギリスにこんな話があった。それによると、市民が一人亡くなった時、イギリス人が一人亡くなった時には鐘が一回鳴らされたらしい。貴族が亡くなった時は二回、王族の誰かなら三回、王様が亡くなったら四回、鐘を鳴らしたそうだ。そしてある日、鐘が五回鳴らされたそうだ。みんなすぐに神父の元に走り、こう尋ねた。何があった?と。王様は健在なのに鐘が五回も鳴ったからだ。神父はこう答えた、『正義が死んだのだ。』

今回のこの裁判は、正義の息の根を止めた裁判と言ってもいい。私たちは、一度たりとも、司法に異議を唱えたいと思ってきたことはなかった。この国では誰でも裁かれうる。けれども、皆が良く知っておかなければならないことがある。それは私たちが正義を信じているから裁きを受ける、[司法の]正義を信頼している。だからドイツでは、市民が「ドイツ最高裁には裁判官がいる」と言うのだ。人びとは「したいようにすればいい」と言い、司法を信頼している。では私たちは司法を信頼しているだろうか?答えはノーだ。こう思う根拠は何か?不正義な司法だ。」

■「政治的な裁判所は、非常事態下の裁判所だ」

クルチダルオール党首は、スィリヴリの裁判所は非常事態時[に設けられた]裁判所であったとの見解を語った。

「あなた方はリーダーのいないテロ組織なんか聞いたことがあるか?誰がこの組織のリーダーなのだろうか?エルゲネコンのテロ組織のリーダーは誰だ?知っている人は?知る人など、いないのだ。司法は、国家諜報機関のほか警察、軍部の諜報部にもこのようなテロ組織が存在するのかと尋ねた。存在しないという回 答だった。今回、国のあらゆる極秘情報に通じるこれらの敏感な諜報組織らさえ、このようなテロ組織の情報をつかむことは出来ていなかった。 しかしスィリヴリ裁判所の公判で、このようなリーダー不在のテロ組織の存在が明らかにされたのだ。妥当な司法の手続きがあるなら、私たちは異議を唱えたりしない。常に敬意を払うだろう。[しかし]今回の判決を下した裁判所は、一般の裁判所ではなく、特別権限裁判所なのだ。

特別権限裁判所は、非常事態時[に生まれた]裁判所である。戒厳令下の裁判所だ。非常事態時の裁判所とは、政治的権威の影響下に置かれた裁判所であるということ だ。非常事態時の裁判所が出す判決は、社会の良心がその合憲性を認めることはない。アドナン・メンデレスの処刑を命じた裁判所について、街頭に出て市 民に問うてみよ、「あの判決は正しかったか?」と。あの時代を称賛していたのはほんの一握りの市民だけである。今日、政治的抹殺がどれだけ愚かなことであるのかは、もう誰もが学習している。政治的裁判所もまた非常事態の裁判所である。スィリヴリの判決は統制下の裁判所が下したものだ。つまり、この裁判所の判決は合法ではない。

いくら統制下に置かれた裁判所の判決を私たちが違憲だと思っても、それは民主主義なのである[からひっくり返し様がない]。この裁判所の判決を私は合憲とは認めない」

■「合法的司法だとは認められない」

クルチダルオール党首は裁判過程について、合法的であるとは言えない、と次のように話した。

「首相が「私はこの裁判の検察官だ」と発言した。これはどういう意味か?その真意は「私が検察の立場にある」ということなのであろう。ある政治的権力者が裁判の検察側の立場にいたとしたら、その裁判所を一般の裁判所と見なすことが出来る人はいないだろう。これはもう政治的裁判である、政治的要求を実行しているのだから。1980年クーデター後の統制化にあった裁判所では、ケナン・エヴレン将軍の要求を実行しないことはあっただろうか?していた。だが特別権限裁判所はこれを実行していた。政治的権力者の要求に実行していたのだ。したがって私たちは、今回の裁判を合法的であると認めることは出来ない。もし かすると私がクーデターを是認したと取られるかもしれない。だがそれはノーだ。民主主義において、国民の意志が重要である。民主主義において、国民の意思を何かの犠牲にしてはならないのだ。トルコの民主主義の基盤は崩れている。クーデターはどんなものでも反対だ。もしある国の首相が「立法と行政が私にとっ て足かせだ」と言うならば、その国には問題があるということだ。民主主義に対するうらみ、それが溜まっているということだ。この裁判はよく吟味する必要がある。」

■判決が下されるまでに、7人が命を落とす

「エルゲネコン裁判の過程で、6万人の電話が盗聴された。3000人の訴訟手続きが行われた。1360人が裁判所で証言した。計1万7000ページに及ぶ、19の訴状が用意された、あるいはまとめられた。7人が、判決が下されるまでに亡くなった。裁判の調書は1億2000万ページを突破した。これを一人の裁判官がこれを読み終えるのには228年かかるという。これらの真実を私たちは知っておくべきである。マスメディアはこの真実を伝えてこなかった。申し訳ないが。」

■「あれは裁判ではない」

[バシュケント大学元学長、共和人民党所属の元国会議員で、今回の裁判で懲役12年半の実刑判決を受けた]ハベラル氏との面会について語ったクルチダルオール党首は、次のように語った。

「あなた[政府]は立ち上がり、一国の参謀本部長をテロ組織のメンバーであるとして終身刑を下した。彼の手には武器がある。国軍のトップにある。彼は国のあらゆる秘密を知っている。もしかすると、首相や諸大臣さえ知らない秘密をも握っている。仮に、彼がテロリストだとしよう。彼を参謀本部長にしたのは誰か? この責任をとらなければならない。[任命状の]最後には誰のサインが書かれているのか。政府である。だとすれば、あなたはテロ組織への援助及びテロリストをかくまった罪に問われなければなるまい。このような考え方があってもよいだろうか?

大学教授がクーデターをなぜ望むだろうか?彼の手に武器はあっただろうか?私はハベラル氏と面会した。教授は幾度となく『いかなる理由で投獄されたのかわからない』と話した。その後理由はわかりました。『いや、まだわからない』といっている。ジャーナリストの手にはペンがある。彼の武器はペンだけだ。発行前の本について回収の判決を下している。これをおこなう組織をどうやって裁判所と呼べようか。あれは裁判所ではない。あそこに座っていた人物も、申し訳ないが、裁判官だと思っていない。裁判官が判決を下すのは、感情によってでも、政治的権力者の命令によってでも、支配権力の圧力によってでもない。良心によって判決を下すのである。スィリヴリ裁判所の裁判官が良心で判決を出したとは思えない。10年後あの裁判官たちの子供は、ぼくのパパはスィリヴリのときの裁判官だったんだ、とは口にできないだろう。恥に思ってだ。これほど重い遺産を後世に残したのである、彼らの子供たちに。」

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( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:31097 )