特集「タクフィールとは何か」(2):アボルガーセム博士に訊く
2013年08月31日付 Jam-e Jam 紙
「シーア」と書かれた手(右)と「スンニー」と書かれた手(左)を切ろうとするハサミには、イスラエルの国旗と「ワッハーブ派」と書かれたラベルがくくりつけられている。
「シーア」と書かれた手(右)と「スンニー」と書かれた手(左)を切ろうとするハサミには、イスラエルの国旗と「ワッハーブ派」と書かれたラベルがくくりつけられている。

 コーラン活動家・暗唱者でホッジャトルエスラーム・ヴァルモスレミーン〔※アーヤトッラーよりワンランク下の宗教指導者のタイトル〕のモハンマド・アボルガーセム博士は、8年間にわたり、ゴムの神学校で上級レベルの授業の講師を務めてきた人物である。

 同師は12年間、タブリーズィー師やファーゼル師、ヴァヒード=ホラーサーニー師、ジャヴァーディー=アーモリー師らのもとで、イスラーム法学や法源学、コーラン解釈学などを学んできた。同師はまた、イスラーム法学の最上級コースで学ぶ傍ら、10年間にわたってバギーヤトッラー専門研究所でイスラーム法学・法源学の各分野について、教育・研究活動に従事、数本の論文をものしてきた。

 ゴム・コーラン研究所代表の同師は、ジャーメ・ジャム紙とのインタビューの中で、「タクフィール」とは過激派の一種であり、西洋の支援に頼っているがために、早晩消滅する運命にあるとの見方を示した。

 タクフィール(背教徒宣告)はイスラームに由来するものなのでしょうか?

 近代に入って、自分だけがムスリムで、その他のグループはカーフィル(背教徒、不信仰者)だと考えるような者たちが台頭してきた。彼らは植民地主義や抑圧諸国にとって、極めて都合の良い働きをしている。その過激な思想によってイスラームのあらゆる分派やグループを互いに争わせ、それぞれに対してタクフィール(背教徒宣告)をすることでイスラーム諸国間に戦争の火種をまき散らすことができるからだ。次のことも付け加えておかねばならない。シーア派信徒に対するサラフィー主義者によるタクフィールは、シーア派信徒のみを対象としたものではなく、彼らはスンナ派の人々にもタクフィールをしているということである。

 例えば、スーフィー各宗派に属し、信仰上は完全にスンナ派であるスーダンのスンナ派信徒らの多くもタクフィールを受けている。また、同じような傾向をもったエジプト人らも、サラフィー主義者らによってカーフィルと見なされている。しかし言っておかねばならないのは、イスラームの歴史上、そして特にイスラームの主要源泉であるところのコーランならびに偉大なる預言者のスンナ(慣行)では、こうしたやり方は偽なるものであり、まったく受け入れられないということである。

 コーランの「婦人」章第94節には、次のようにある。「信仰を見出した者よ、神の道に歩を踏み出すとき(ジハードに赴くとき)は見極めよ。挨拶をし、平和を表明する者に対して、お前はムスリムではないなどと言うことなかれ‥‥」。つまり、道を歩み、旅行に出かけたとき、理由もなく他人にタクフィールをしてはならない、訳もなくイスラームの輪から追い出すようなことをしてはならないということである。

 この聖なる章句は啓示として伝えられてきたものである。一部のムスリムが羊飼いを見て、その羊飼いがイスラームの外で生活をしていることのみを理由に、彼のもっている財産や羊に目が眩んで、彼を殺し、その財産を強奪してしまった。この章句は〔こうした事態に対して神から〕下されたものであり、こうした行為を強く叱責している。もし誰かがあなたに挨拶(サラーム=平和)をすれば、それだけで彼の信仰心は十分に示されており、彼の血と財産は尊重されねばならないのである。

 残念なことに、今日ワッハーブ派という迷いに満ちた宗派の指導者たちは、こうした思想を有している。彼らは理由もなく、人々をカーフィルだと告発している。言うまでもなく、彼らはこうした行為によって、望むと望まざるとにかかわらず、知ってか知らずか、物質的な富も手に入れている。恐らく彼ら自身も、西洋が彼らを支援しているのは、こうした過激な思想が理由だということを知らないのであろう。

 こうした行為によって、西洋はイスラーム諸国を不安定化させ、安定確立のために、西洋への依存を彼らの間に自然と作り出そうとしているのである。パレスチナ問題や世界のその他の地域で起きている不正義・圧制に対するムスリムたちの抗議運動に対して、西洋は暴力の潮流を作り出すことで、心を安らかにしているのだ。

ウラマーや思想家たちはそのために、どのような義務をもっているのでしょうか?彼らはタクフィール問題を封じるために、どのようなことができるのでしょうか?

 ウラマーの使命とは真実を語ることである。彼らはコーランの章句及びイスラームの預言者の慣行に鑑みて、最大限多くの人をイスラームの輪の中に呼び込むべく、自らの姿勢を位置づけねばならないのであって、タクフィールをして、多くの人をイスラームの外に放逐するような態度を取るべきではない。〔‥‥〕

 信徒の中には、ワッハーブ派の言っていることはスンナ派の考え方そのものだと思っている人がいる。ワッハーブ派は西洋の手によって作られた偽りの宗派であり、イスラームとは何の関係もないということをはっきりさせるならば、状況の明確化に大いに役立つだろう。こうしたことに留意するならば、イスラーム諸派の団結をより強固なものとし、ムスリム間の緊張の原因となってきた、この迷いに満ちた偽りの宗派に対して、すべての人が抵抗することが可能となるだろう。

タクフィールはイスラームの主流になったことは一度もありません。イスラームの歴史にはハワーリジュ派のような集団が存在してきましたが、タクフィール主義者の未来はどうなると思いますか?果たして彼らは過去の宗教過激派と同様、限定的な存在となっていくのでしょうか?

 この集団は現在、西洋の自己欺瞞に満ちた為政者の支援によって命脈を保ち続けているムスリムたち〔※サウジアラビアの王族などを指す〕の資金に依存している。もしムスリム〔全体〕のものであるはずの石油収入がなくなり、西洋の支援もなくなれば、この分派はイスラーム世界のムスリムたちの間にこれっぽっちの影響力ももたなくなるだろう。

 ワッハーブ派は実際、その過激な思想ゆえ、いかなる魅力も有してはいない。その一方で、イスラームは魅力に満ちている。もしこの分派の思想の別の側面にきちんと注目が集まるならば、彼らの考え方がいかに嫌悪すべきものであるかは火を見るより明らかとなるだろう。あらゆる種類の生誕祭、それもイスラームの預言者のそれですらハラーム(禁止)と見なすような彼らの思想は、その代表である。

 電信・電話が発明された初期の頃、ワッハーブ主義者らはこうした利器をハラームと断ずるファトワー(教令)を出した。つまり、この分派は極めて貧困かつ過激な思想を有しており、生き残ることなどまったく不可能である。

 強奪されたムスリムの資産・富が、この分派の命脈を保たせているに過ぎない。当然、こうした資産・富が存在する限り、この分派も残存するだろうが、しかし何らかの事件が起きて、こうした富が彼らから失われるようなことになれば、彼ら自身消滅し、イスラーム世界は汚点ともいうべき彼らの存在を消し去ってしまうだろう。

 いうまでもなく、西洋の支援は永久ではなく、西洋は自らの手駒として、特定の期間、彼らを支援しているに過ぎない。ビン・ラーディンのような手駒の賞味期限が過ぎれば、彼らもまた海の底へと投げ棄てられるか、別の形で消滅させられるだろう。いずれにせよ、この分派は間違いなく消え失せる運命にあるのであり、近いか遠いかにかかわらず、将来彼らの命運も尽きるであろう。

〔‥‥〕



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:31428 )