日本人大学生殺害事件で誤認逮捕のディラヴェルさん、告発へ
2013年09月14日付 Radikal 紙
ディラヴェルさんは日本人大学生襲撃の犯人とされたが、真犯人が判明するや釈放された。彼は警察や検察、裁判官に無実を訴えることができなかったらしい。
ネヴシェヒルで発生した日本人観光客襲撃事件の捜査で、十分な証拠が集まらない段階でムスタファ・ヴォルカン・ディラヴェルという名の若者が容疑者とされ、逮捕された。
真犯人が明らかとなり自白するや、ディラヴェルさんは自由の身となったが、職も失い、また「殺人」を犯したとされ、そのことが公になってしまったため、精神的にかなり落ち込んでいる。
9月9日、ギョレメ村で日本人観光客2名が襲撃され、栗原舞さん(22歳)がナイフで刺され死亡、友人のTさんも重傷を負った。
ネヴシェヒル共和国検察の捜査が始まった翌日、つまり9月10日、警察がムスタファ・ヴォルカン・ディラヴェルさん(26歳)宅を訪れた。
ディラヴェルさんは、その後の出来事を本紙に次のように話る。
「警察署へ来るよう言われました。愛車の赤い『シャーヒン』もカメラで撮影されていました。ナンバーは隠されていたようですが。
どうも通報があったようです。自分に日本人観光客襲撃の容疑がかかっているのだと知り、ショックでした。
詰問されました、「あの時間どこにいたか?」、「われわれは現場でお前を目撃している。あそこで何をしていたのか?」等、質問されました。
何度も、事件当日には兄と友人と一緒にいたと伝えましたし、私のいた場所のカメラ録画内容を調査すれば、そのことはごく容易に証明できるはずだとも話しました。それでも、私の話は聞いてもらえなかった。
その後、面通しのために病院に連れていかれました。
後ろ向きの姿勢で部屋に入らされ、私の顔を、重傷を負った観光客に見せられました。「あなた方を襲ったのはこの男ですか?」と尋ねると、彼女が「この人ではありません」というように首を振るのを見ました。
しかし部屋から出ると、警官達が「観光客はお前が犯人だと言った」と言ったのです。
それから検察局に連行され、そこでも兄や友人と一緒にいたことを監視カメラの記録で確認してほしいと頼みました。それでも捜査してくれなかったのです。「弁護士は必要か?」等の質問すらされませんでした。」
■「こっちに渡せ」留置所での罵声
検察は拘留要請により彼をノベッチ・スルフ犯罪裁判所に引き渡した。ディラヴェルさんは、残忍で苦痛を伴う殺害、殺人、犯罪隠匿あるいは犯罪証拠の隠匿・隠滅目的の殺人、性的暴行、暴力や武器を使用し被害者の自由を奪った等の罪で逮捕され、ネヴシェヒル留置所に入れられた。
留置所での3日間は次のように過ぎたという。
「独房でした。ほかの受刑者の罵り声や脅しなども耳にしました。「こっちの雑居房に連れてこい」などと叫んでいました。とっさに私が冤罪を被せられる可能性について考えました。本当に恐ろしかったです。何度もアッラーに祈りを捧げました」
■告発する
ディラヴェルさんが留置所にいる間に真犯人のファティフ・Uが逮捕され、犯行を自供した。ここに至り、ディラヴェルさんは一昨夜ようやく解放されたのである。
しかし、すでに以前とはまったく違ってしまっていた。
「容姿が公になり、犯罪歴があると公表されてしまった。電気技師として勤めていた会社も「こんな恥知らずとは働けない」と私をクビにしました。
親友や知人の目にも犯罪者と映ってしまいました。精神的に辛く、3日間食事ができませんでしたし、どこにいても眠れなかった。違法な行為を受けたのです。逮捕され体中にアレルギー症状が出て、髪もところどころ抜けてしまいました。私をこんな目に合わせた人すべてを告発します。法的な権利を行使する気でいます。」
■検察が過ち認める
ネヴシェヒル検察のオスマン・ヌリ・ギュレル検察官も、過ちがあったと認めた。ギュレル検察官は、重傷を負ったTさんの証言、ディラヴェルさんの車が真犯人ファティフ・U容疑者の車両と似ており、車からナイフが見つかったことなどが誤認逮捕につながったとしている。
また同検察官は「結果的には誤認だったが、過ちは修正された」と話し、TさんがF・U容疑者を犯人だと証言したことを明らかにした。
ギュレル検察官は、「被害者は、犯行は単独犯によるものだったと断言している。襲撃がどのように行われたかは起訴状で明らかになるだろう。F・Uが負傷者を襲ったのは明らかだ。」と続けた。
■検察の謝罪は初めてではない
トルコで検察や警察が過ちを認めたのは、何もディラヴェルさんの件が初めてではない。記録を紐解けば、この手の前例が溢れている。
例えば靴磨きのフアト・ナルクラン君は12年前にユゼイル・ガリフさん殺害の罪で逮捕され、「有罪」とされたが、2日後にこの少年は釈放された。告発がなされ、政府は2万5000リラ(約124万円)の慰謝料支払い判決を受けた。
そのほかウムラニイェの事件でも警察検察は過ちを認めている。
2002年、「ウムラニイェの通り魔」として逮捕されたB.Aさんも後に無罪であることが証明された。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:31443 )