佐々木裕滋氏、戦争犠牲者に対する共感の必要性を訴える(上)
2013年10月12日付 Mardomsalari 紙
[広島で被爆し、「原爆の子の像」のモデルとなった]禎子さんの甥・佐々木裕滋氏および「サダコ財団」[※正しくはNPO法人SADAKO LEGACY]代表の小林氏と[イラン国内の]メディア関係者との会見が、児童映画祭の広報室にて行われた。
会見の冒頭、映画祭実行委員長のジャアファル・グーダルズィー氏は、[禎子さんが折った]折鶴をイランに届けるために行われた、これまでの経緯について、「日本を訪問した際に、私たちは[SADAKO LEGACYの関係者に]今回の[折鶴のイランへの]旅には何の心配もない、と言いました。これ[=折鶴の寄贈?]が実現すること、そして折鶴の映画がきっかけとなって、私たちが思い描いていることが実現し、平和と友好のメッセージが現実のものとなることを、私たちは願っています」と述べた。
会見において佐々木裕滋氏は、
折鶴像の除幕式のためにエスファハーンを訪問したことについて、次のように語った。
この式典に出席するために私たちが[エスファハーンに]来た際、他の国々からも子供たちが来ていること、そして映画祭について実に多くの案内板が市内に設置され、宣伝されているのを見ました。私たちはこの歓迎ぶりに驚きました。来てくれた子供たち、そして式典もとても素晴らしかったです。折鶴に対する歓迎ぶりがどのようなものであったか、そして聞くと見るとでは全く違ったということを、[日本の]人たちや友人たちに必ず話したいと思います。
この会見では[女優の]
ペガーフ・アーハンギャラーニー氏が、広島と[西アゼルバイジャン州]サルダシュトで化学兵器が使用された[※ママ]ことで、イランと日本が犠牲を強いられたことについて、次のように語った。
私たちと日本には一つの共通点があります。それは、この二つの街で罪のない人たちが大量殺戮されたことです。日本では幸いなことに[原爆被害について世界に訴えるための]財団が立ち上げられていますが、サルダシュトという街のことやそこに住む市民に起こった出来事については、世界の多くの人が知りませんし、わが国の中にも知らない人がいます」。
佐々木氏は「サダコ財団」の活動について、次のように説明した。
広島で起きた出来事について知ってもらうために、市民自らが行動しました。日本政府は私たちに何の支援もしてくれませんでした。この運動は市民の側から自然発生的に起こったものなのです。日本政府から見れば、私たちは一般市民にすぎず、広島を知ってもらうために政府は何もしませんでした。人々には、広島で起きたことを伝える、ブログというツールがあります。人々にとって重要なことは、このような悲劇が他の国々を襲うようなことのないようにすることです。また、当時の被害者たちが自身や周りの人たちの体験を人々に話したり、他の国々を訪問して事実を語ることも重要です。
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本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:3413001 )
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