歌手セゼン・アクス、コンサートでアレヴィー派に言及
2013年11月03日付 Radikal 紙

昨晩、ゾルル・センターPSMで素晴らしいコンサートを行ったセゼン・アクスは、平和へのメッセージを忘れなかった。「アレヴィーの人々に対して行われた弾圧を見ずにいることはできないでしょう」と述べたミニク・セルチェ(小雀の意。セゼン・アクスの愛称)は、メティン・アルトゥオクと共にスィヴァスの虐殺で命を落とした人たちを追悼した。

一部のアーティストは、彼らが行う生のパフォーマンスが取るに足らないものでも、直に鑑賞するに値する。スタジオでの録音によってレコードやカセット、今ではmp3といった媒体で聞くことができるこれらのアーティストを生で見ることは、次の観点から素晴らしいものであると言える;彼らはただ歌を歌って 楽器を弾くだけに留まらず、我々の人生に関することも話し、不満を吐露する、簡単に言えば声を上げている。パフォーマンスが満足いくものでなくてもコンサートの最後には、彼らはコンサートが始まる前の我々の状態に必ずプラスの影響を与えている。土曜日の夜にもセゼン・アクスがこのようなコンサートを行った。少しコンサートが行われた場所に言及することに意義がある。イスタンブルの最も新しく、見た者すべてが共通して最もいいコンサートホールと言うゾルル・センターPSMは、「ミニク・セルチェ」もコンサートで3-4回言及したようなすばらしいホールである。すべての感覚が満足するホール。ステージはすべての席からとてもよく見え、より重要なのは音響が完璧であるおかげで「すべてが」聞こえることだ。つまり、ここではあらゆるコンサートを鑑賞することができる。音楽を聴くことの醍醐味を味わえると言うことができる。もちろんセゼン・アクスが言った「私たちの文化的資本を満たす場所はここであってほしい。なぜなら私たちには欠けているものがたくさんあるからです」という願いも記しておこう。

コンサートではセゼン・アクスの歌に、作曲家のアタクオールがピアノで、偉大なアーティストのアラ・ディンクジアンも、もはや体の一部となったようなウードで伴奏した。このメンバーで政治的なメッセージは避けられなかった。まずアタクオールがステージに上がり、「ダルグン・デイリム」を演奏した。この曲は知られている通り元大統領アドナン・メンデレスの処刑前の言葉から着想を得て書かれたものだ:「ある日我々の戸が鳴らされたら、我々の名が再び思い出されるなら、その時我々の血の流れ出る傷はふさがれる。罪、その日は来る、時が我々の潔白を証明する、裏切りが洗われる、ため息が洗われる」

すぐ後にアラ・ディンクジアンとアタクオールにセゼン・アクスも加わり、「トリオ」は終わった。愉快な光景と機知にとんだ表現や決まり文句で「楽しい時間」を作り出した。演奏された曲の一部である「イェニリエ・ドール」、「サルシュヌム」、「ホシュゲルディン」といった曲では全くうまくいかない結婚の試みについての話が皆を笑わせた。「ソン・サルドゥンヤラル」、「ゲチェル」、「ベニ・アル・イスタンブル」といった曲でステージに立ったゲストの、アーティストのマルコ・マルコヴィチは、素晴らしいソロを歌った。「アラトゥルカ」、「イネ・ミ・チチェキ」、「ヴァズゲチティム」、「カチャク」…。
マルコ・マルコヴィチと並んで、エルダル・エルズィンジャンもサズで演奏に加わった。セゼン・アクスはエルズルム出身のアレヴィーであるエルズィンジャンをステージに迎えると、民謡「ネ・アーラルスン」を歌う前にアレヴィーに関して話した。:「アレヴィーの人々は歴史の中で全く安息を得られなかった。私はあなたたちの兄弟としてあなたたちの隣にいる。最も多くの弾圧を彼らが受けた。これを見ずにはいられないでしょう。良心のあるすべての人はこの弾圧に反対しなければならない。もうこれを解決しなければならない」
民謡「サル・ゲリン」は、願われる「団結」を届けた。エルズルム出身のエルダル・エルズィンジャンとアルメニア人のアラ・ディンクジアンは一緒に演奏し、ミニク・セルチェも歌の最初の部分をトルコ語で、最後の部分をアルメニア語で歌った。
コンサートの始めからトリビューンで見られた「額を寄せ合う夫婦」の光景は、これ以後地面を濡らす目に交替した。

(セゼン・アクスは)再びステージに上がった時に、以前「夜に歌っていいのか」と言って歌わなかった「カヴァクラル」を歌った。始めにまず深いメッセージがあった。「誰も自分を選んでこの世界に生まれてはこない。そして我々は小さい頭で人間にエチケットを植え付けている。どのように、このように限りなくやっている、知らないがやっている。我々は皆不正の共犯になっている。しかし自然にはすべてがある。あなたたちに、私に、誰にも聞かずともある。なければならない。万物はこのようなものだ。私たちには不可能だ!そのためにすべての人の人生で全く望まれなかった瞬間に生じる絶え間ない良心の呵責、絶え間ない罪悪感がある。これらから解放されるすべは我々の手にある。いつかは分からないがとても願っている。悲しみで私の心は引き裂かれている。この不正を受ける運命だった人の一人をまたスィヴァスで失った。この荘厳な詩の持ち主である、37人と共にスィヴァスで失ったメティン・アルトゥオクとすべての人の追悼に。」
閉幕は「ドゥア」という歌のリフレインで行った。「今日私は私たち皆のために祈った。気高き神よ我々をお許しください」その後いう言葉はもちろん残っておらず、拍手で家に帰った。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:31878 )