悪魔の祭典:イランでハロウィーンが浸透しつつあるのはなぜか(1)
2013年11月04日付 Iran 紙
【ファリード・ジャンナト】ハロウィーンという祭りの名の下で行われる奇妙奇天烈な格好と異様な服装、そして常軌を逸した行動。数年前からこのようなことがイランのほんの一握りの市民の間に浸透するようになっているが、こうした異様な祭りの様子を映した写真がSNSで公開されるに至り、多くのイラン人は不快感を催すようになっている。
毎年10月31日の夜、ヨーロッパ人やアメリカ人たちはハロウィーンという名の祭りを開催する。古からの伝統に基づき、彼らは自分たちの顔に奇妙かつ下品なメイクを施し、異様で混乱した服装を着、常軌を逸した行動に走る。
ハロウィーンには一つの長大な物語がある。言われているところでは、この祭りは紀元前2千年にまで遡るとされ、また歴史的資料が語るところによると、この祭りは彼ら〔=欧米人〕の祖先たちのあの世への信仰を表現するものだという。この祭りは西洋人たちの神聖かつ宗教的な祭りの一つであり、「ハロウィーン」という名称もこの祭りの哲学、すなわち「神聖な祭り」に則ったものである〔※〕。
※訳注:「ハロウィーン」は「聖人たちの日の前夜祭」(Hallows eve)に由来するとされることを指しているものと思われる。
歴史
ハロウィーンは毎年行われる西洋人特有の行事であり、それはイラン文化とは何の接点もない。それゆえ、こうした祭りが社会の一部で流行っていることに、その他のイラン人たちは不快感を催している。イラン文化には理性および合理性と調和的な行為が行われる、歴史的、民族・宗教的行事が各種存在するというのに、西洋社会の色に染まりたがる者たちが一部にいる。その結果が、ハロウィーンやら離婚式やらのお祭りというわけだ。
歴史学者のシャーケル・レザープール氏は次のように言っている。
ハロウィーンはわれわれが歴史的に有している最小の行事にも適うものではありません。ノウルーズ〔イラン正月〕で始まり、
チャハール・シャンベ・スーリーで終わる一年間、われわれの国民的文化には多くの、多種多様な行事やお祭りがあります。そのいずれにも、人間的論理に反したような行為が行われることはありません。われわれの風習は理性的行為にもとづいたものであり、そこでは西洋の祭りとは異なり、人間が自らを人間的状態から逸脱させるようなことはありません。むしろそこでは人は、人間性の原則に立ち帰るのです。
彼はハロウィーンとチャハール・シャンベ・スーリーのような祭りとの間にある、一部の類似性について触れ、次のように述べている。
私たちにはチャハール・シャンベ・スーリーで、「水曜日のナッツ類」を提供する習慣〔※チャハール・シャンベ・スーリーで炎の上をジャンプし終えた後、ナッツ類をその炎で炙り、塩を付けて食べる習慣のこと〕があります。ハロウィーンの伝統的文化でも、子供たちが家々を回り、ナッツ類やお菓子などをもらう習慣があります。ハロウィーンの歴史では、人々が火を付けて、その回りに輪を作って、もちよった食事を分け与えると言います。それは一種の社会的親近感を互いに感じるためです。
この祭りでは、かつて人々は動物の皮からできた服を着ていました。こうした習慣が、今日あのような奇妙奇天烈な服を着、恐ろしいメイクをするという行為へと変わっていったのです。実際、西洋自身の内部でも、当初の祭りに多くの逸脱と奇抜さが生じ、今や神聖な祭りはゾンビのお祭りへと姿を変えてしまっているのです。古の祭りから残っているのは、人間の顔の形に作り、その中で灯りをともすカボチャだけ、という有様です。
実際、ローマ人の襲撃とともに、北フランスやアイルランドにいたケルト民族の祭りは、完全にその本質を変えてしまいました。最初の頃のハロウィーンでは、人々は神聖なる霊が現れると信じていました。しかしローマ人の襲撃後、祭りの様相は一変し、恐ろしい悪魔たちが出現して、人々は悪魔の姿をするようになりました。こうした変化は徐々に大きなものとなり、今では「スプーンたたき」〔※〕の行事以外、往事の祭りの痕跡は残っていません。
※訳注:「スプーンたたき」はスプーンやしゃもじを叩きながら家々を回り、豆やお金をもらって、それを材料にして作った食事を病人や貧しい人々に振る舞う、チャハール・シャンベ・スーリーでの行事。ここでレザープール氏が言っているハロウィーンでの「スプーンたたき」が何を指しているのかは不明。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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