アヤソフィア博物館命令のアタテュルク署名は偽物?―トルコ歴史協会元会長主張
2013年11月23日付 Milliyet 紙
アヤソフィアが博物館となることに関する決定にあるアタテュルクの署名は偽物であると主張するハラチオール氏は、「警察も署名が異なっていると認めている」と述べている。
トルコ歴史協会元会長でありMHP会派副代表のユスフ・ハラチオール議員は、アヤソフィアが博物館となることに関する決定にあるアタテュルク署名は偽物だと主張している。同議員は、アヤソフィアが再びモスクとして使用されるようトルコ大国民議会に請願中で、警察総局も件の決定に関連する歴史文書2点にみられるアタテュルクの署名が異なっていると認めたと明らかにしている。また、同議員は本件に関して初めて明らかになった文書もあるとし、「アヤソフィアのアタテュルク署名が偽造された偽物だとしたら、違法に博物館に転じられたということだ。博物館としては使用できない」と話した。
■「違法性が論点」
ハラチオール議員は、アヤソフィアが1453年征服王スルタン・メフメットのイスタンブル征服時からモスクとして使用され始め、1935年2月1日以降、博物館に転じられ、また、1934年11月24日付第2/1589号の閣議決定により博物館となったという経緯を述べた。同議員は、次のように続けた。
「この決定は、官報をはじめとした公報に一切掲載されていませんし、この決定に関していかなる記録も残っていません。1995年6月7日に、首相府規定開発・出版総局によって、アヤソフィア博物館命令が官報に掲載されていたかどうか関して開示要求をおこなったところ、1995年6月14日、オズギュル・エルクマン総局長の署名で、「1934年11月24日付第2/1589号閣議決定は官報には掲載されなかったことが認められた」との回答がありました。1924年憲法でも、現行憲法でも、法案、提議、法令、法律、民法判例法が成立するためには、大統領承認後に官報に掲載される必要があります。しかしアヤソ フィアに関してはこうした状況がなかったようです。ここには明らかな法律違反がみられます。」
■3日前の署名は不可能
つぎに、ハラチオール議員は、アヤソフィアを博物館転用する閣議決定におけるアタテュルクの署名に不可解な点があると主張する。
同議員は「ムタファ・ケマルに「アタテュルク」という姓を与えた第2587号特別法は1934年11月27日付の官報に掲載されました。アタテュルクの署名がみられるアヤソフィア博物館命令は1934年11月24日、つまり3日前です。アタテュルクが命令に署名すること自体、可能とは思えません。これは明らかに偽造があったということです」と語った。
また、同議員によれば、警察総局もアヤソフィア博物館命令のアタテュルクの署名がほかのアタテュルクの署名と異なっていると認めていると語る。ハラチオール議員には、警察総局から、「問い合わせのあった事案について、添付コピー中の1934年11月24日付第2/1589号の閣議決定において、大統領の名前の下にある署名は、同添付にみられるアタテュルクの署名の見本とは一見して判別できるほどに書体に違いがみられる」という回答を得たと明らかにした。
■「博物館として使用できない」
ハラチオール議員は、「このようにつぎつぎと資料をならべてみると、署名に偽造があったと言わざるを得ません」と述べた。同議員によれば、アヤソフィア・モスクは1936年2月19日付の権利証書にもファーティフ・スルタン・メフメト財団の名でモスクとして登記されており、ワクフ総局台帳にも同様にモスクとして登録されている。同議員は、「アヤソフィアは現在、博物館として使用されていますが、これは法律違反です。」と述べ、トルコ大国民議会議長府へ法案を提出するとともに、アヤソフィアをモスクに戻すよう要求した。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:32066 )