アーティストのサバハト・アクキラーズ氏とウード(リュート)フェスティバルのために訪れたイスラエルで、かの有名な治安国家をこの目で見た。
アーティストで共和人民党イスタンブル選出国会議員のサバハト・アクキラーズが、イスラエルで開催されたウードフェスティバルの室内コンサートに招待された。新聞記者としてこのイベント鑑賞の招待が私の元にも来た。迷わず承諾し、イスラエルの有名な治安国家を目にした。
アクキラーズは議員なので外交官パスポート保持者だ。弟のハサン・アクキラーズとミュージシャン5名、新聞記者1名で構成されたチームにVIPパスの権利が与えられた。搭乗券を取りにカウンターへ向かうと初めて障害に遭遇した。トルコ語を話す職員が私を制止し10ほどの質問をした。「スーツケースはあなたが準備したんですか?誰と行くんですか?」このような質問の後、パスポートと手荷物に張り付けられた小さな防犯ステッカーとともに搭乗した。
■ムスタファはあなたたちと一緒ですか?
テルアビブの空港で我々をサプライズが待っていた。グループのメンバーで低音バーラマ担当の「ムスタファ」の名前の登録が「モスタファ」となっており、ムスタファを尋問に連れて行った。30分ほどの尋問の後、我々の元に来て「ムスタファはあなたたちの連れですか」としつこく尋ねた。非常に不思議なのは、この質問を二日後、グループの一人に連絡を取り再び聞くことになったことだ。我々が列に並んでいるときイスラエル市民はパスポートコントロール地点の自動機械に手をかざして入国していた。クドゥス(エルサレム)は、テルアビブとは対照的に静かで、保守層の人口が多い都市だ。イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒にとって神聖なエルサレムの大地は、人びとを興奮させる。しかし、道端の古い軍用車両や武装兵士、パレスチナとの境界に建てられた数百キロメートルにおよぶ壁は、 一人の外国人の神妙な気持ちを一瞬にしてかき消す原因となっている。
■アル・ファーティハ章を読んでみろ!
街のランドマークの一つがアル=アクサー・モスク、もう一つが嘆きの壁である。ムハンマドが昇天し、イエスが十字架にかけられた場所も旧エルサレムにある。我々が最初に立ち寄ったのはアル=アクサー・モスクだった。聖域へ入る狭い通りには、武装兵士が待っている。最初、「ここには入れません」という警告を受けた。トルコから来たことを告げると、兵士らは我々の通行に許可を与えた。アル=アクサー・モスクにはイスラム教徒のみが通行を許される。ごまかしは効かない。なぜなら兵士は、「イスラム教徒です」と言う人びとを信じなかった場合、その人に「[コーランの]アル・ファーティハ(開扉の)章を読んでください」と言うことがあるからだ。嘆きの壁に関しては、通行は自由だ。入る際にどの宗教に属しているのかという質問はされない。女性と男性で別々の区分けがある。祈っている人もいれ ば、壁に願いを書いた小さな紙を差し込んでいる人もいる。ユダヤ人ならば何千年も前に破壊された神域のうち唯一残った聖なる壁の前で数十分も泣いている。
■平和のために民謡
イスラエル人の重要なウード奏者たちがいる。だからこの国でのウードフェスティバルの意義は大きい。国際的なレベルで毎年アーティストを迎えるフェスティバルの今年のもっとも重要なゲストがサバハト・アクキラーズであった。初めてイスラエルに来たというアクキラーズも、この訪問とコンサートの意味はたいへん大きいと述べた。聖地でコンサートを開く興奮を体験した名人は、「何年もこの地域では戦争がありました。今もなお続いています。ここで民謡を、兄弟愛と平和のために歌います」と述べた。アクキラーズはエルサレムでのコンサートのレパートリーにユヌス・エムレを加えた。「私の名前は悩みが詰まった滑車」を披露した。
エルサレムでの重要なコンサート会場の一つで、満席のサロンでコンサートを行ったアクキラーズは、トルコからイスラエルに移住したファンとコンサート後に会話し写真撮影をした。フェスティバルに来た多くの人がそうであったように、イスラエルでは市民も、最早壁が壊され、平和が訪れることを望んでいる。空港まで我々を送ったタクシーの運転手が壁について語った次の言葉は、ずっとイスラエルの思い出として私の耳元で響くことだろう。「この壁は間違いだった。いつか壊されるだろう。できるだけ早くそうなって平和になることを願う。」
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:小川まどか )
( 記事ID:32071 )