人道的援助で受賞のロマ出身の女性
2013年12月08日付 Hurriyet 紙


ロマ出身のエルマス・アルス氏は、イスタンブルの3万人の一族から学校に行った初めての女児であった。タブーを破って二つの大学を卒業した。9年間、「私は誰か」という疑問のもとトルコ各地のロマのグループを訪問し、「ブチュク」という名前のドキュメンタリーを制作した。2009年に設立した差別ゼロ協会で先週、欧州委員会の名誉ある人道的支援賞を受賞した。

欧州委員会がスウェーデン人外交官ラウル・ワレンバーグの名のもとに与える人道的支援賞の最初の受賞者は、ロマへの差別との闘いを理由にエルマス・アルス氏(34)となった。さて、このエルマス・アルス氏とは何者なのか。

彼女は半遊牧民の家庭に、5人の子供の一人としてアマスヤで生まれた。ロマ出身の母は家事、アブダル出身の父は織ったカゴを売った後、日雇いの工場労働のような一時的な仕事で生計を立てていた。「3万人の一族で学校に行った最初の女児は私だ」と言ってエルマス氏はその人生について語り始めた。「私たちの中では、女児が共同体の外に出る、つまり学校に行くことは禁止されていた。男児も小学校3年生までしか行けなかったが、父は読み書きを知らないことは盲目であることだと考えていた。」

実際、エルマス氏の父は街区の反応にもかかわらず娘を学校に入れた。5年後、エルマス氏は学校を見事卒業したが、この間、家族はイスタンブルに引っ越し、「12歳なのだからもう婚期だ!」という圧力が再び始まった。エルマス氏は、4年間家に閉じこもった。家事やレース編みを学んだ。しかし教育をあきらめることはなかった。「唯一の突破口は教育であることを私は知っていた。『なぜ母の運命を私もたどるのか』と思っていた。家族に結婚しないと言った。全く簡単ではなかったが、中学校を通信教育で卒業するために説得することに成功した。」中学校を短期間で卒業したのち、高校に入学した。「高校進学は人生の転換点だった。『ジプシー!』 とは言われなかったが、彼らの行動から社会的、階層的違いをいつも感じていた。」 

■エディルネに住む別のロマ

トラキア大学のラジオ・テレビ学科に入学した。エディル根ネで自身のグループ以外の他のロマと会った。「グループの伝統や風習は地域ごとに違う。みな物語の小さな一部を知っている、『私は誰で、どこから来たのか』と自問を始めた。答えを探すためにトルコを歩き回ってドキュメンタリーを作ることにした。」しかし計画の実現は物質的、技術的な不足から簡単ではなかった。一時期様々な仕事をし、この間に夫のハルク・アルスと知り合った。結成した小さなチームで撮影を始めた。

■ロム(Rom)、ドム(Dom)、ロム(Lom)

エルマス・アルス氏と彼女のチームは9年間現場にいた。「毎年10の県を決めて1カ月かけて30-40の街区に入っていた」と話す。「今日まで行われた包括的な調査はなかった。誰がどのグループに属しているかを知らなかった。38の県の400の街区で「ジプシー」として表現されるすべてのあらゆるグループを撮影した。」パーツをつなぎ合わせた結果、3つの主要グループが浮かび上がった。ロム(Rom)と、ドム(Dom)と、ロム(Lom)だ。アルス氏は9年間現場で活動し、「ブチュク」という名前のドキュメンタリーを作り、彼らが受けてきた深刻な貧困と疎外を解決するために2009年に差別ゼロ協会を設立した。協会は、政府によるロマに関しての政策を発展させるためにロビー活動を行っている。アルス氏は、「まだ私たちは道の始まりにいる。緊急かつ永続性のある政策が なされなければならない。かつてロマはいないとされていた。そのため誰も彼らに触れなかった。今は、存在はするが無力で、貧しく、社会に自分たちを説明できていない」と話す。

■ヤロヴァではテントから出ることが禁止

若い活動家に、現場での活動の間に最も影響を与えたのはヤロヴァの人々だった。「街区のロマは存在を否定されていた。後になって、雑木林の中に隠されたテントを見つけた。市は『景観を損ねる』という理由でロマの昼間の外出を許可していなかった。夜にごみを集め、昼間はテントにこもっていた。影響を与えたもう一つのものは、ガズィアンテプの「ドム」のグループだった。結婚する年齢が9-10歳だった。350人のグループで読み書きできるのが一人だけだった。子供たちの最も大きな願いは勉強ではなく割礼だった。高額なため力が足りていないのだった。」

■どうしてもロマでないといけないのか

正しい表現は「ロマ」か、それとも「ジプシー」か。エルマス・アルス氏は以下のように答えている。「3年前のロマ解決政策までは社会のすべての周縁のために使われていた表現は『ジプシー』だった。解決政策の後は『ロマ』がポピュラーでクリーンな概念のように認識されている。しかし『ジプシー』という単語には何の罪もない。それをネガティブなイメージで埋め尽くした先入観や差別政策がなくなる必要がある。それぞれのグループの中に多様なダイナミクスがあるためにアイデンティティや概念の混乱が続いている。しかし他のアイデンティティの下に隠れて自身を表現しているうちは、問題は解決できない。」



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:32210 )