イスタンブル警察署長、解任
2013年12月19日付 Milliyet 紙

トルコを揺さぶっている捜査に衝撃的な進展が・・・。ヒュセイン・チャプクン・イスタンブル警察署長が解任された。

解任されたヒュセイン・チャプクン警察署長は、最初の会見で「アンカラへの異動を命じられた。着任したように今度は離任するだけだ。国家と国民の幸運を祈る。皆に感謝したい。」と述べた。

イスタンブル市の汚職収賄捜査の後、イスタンブル警察で始まった解任劇は、全土に広まった。捜査ののち何十もの警察署長が交代させられ、イスタンブル警察署長のヒュセイン・チャプクン氏の動向も注視されていた。
正午ごろ、ヒュセイン・チャプクン・イスタンブル警察署長は解任させられた。チャプクン氏は、マスコミ関係者に一切の発表を行わず警察署を去った。

イスタンブル市の汚職収賄捜査ののち、イスタンブル警察で始まった解任劇が続いている。

イスタンブル警察署では5つの部局の局長と4人の補佐官とともに、ヒュセイン・チャプクン警察署長の2人の補佐官も解任された。

解任劇はアンカラとイズミルにも及んだ。アンカラでは9、イズミルでは10以上の部局で局長の交代が行われた。

コジャエリでは2、トラブゾンで2、ブルサとコンヤでは1部局で解任が行われた。

■チャプクン警察署長 「アンカラへの異動を命じられた」

解任劇は、イスタンブル警察署長のヒュセイン・チャプクン氏にまで及んだ。

長年にもわたり続けてきた職を追われたことを自身で確認したチャプクン氏は、イスタンブルでは4年半にわたり任務を務めてきたが、今後は中央執行機関で任務を続けることになると述べた。

解任の後、個人の持ち物を持ち帰るためイスタンブル警察署本部を訪れ、かつての職場に顔を出す前に記者団に囲まれたチャプクン署長は次のように述べた。「私たちは国家の公務員だ。着任もあれば、当然、離任もある。着任したように今度は離任するだけだ。4年半の間、国家、国民のために、誠心誠意尽くしてきた。今日も普通の国家公務員の人事の一環として、中央執行機関への移動があった。幸運を祈る、私は中央執行機関に行く。もともと私は中央執行機関にいたのだ。一時的にイスタンブルにやってきていた。私はアンカラに移る、私自身に、国家へ、そして国民に幸あれ。

■ヒュセイン・チャプクンの人物像

―ヒュセイン・チャプクン氏は、1965年に警察学校へ入学し、その後警察アカデミーを1971年に警部補として卒業した。
―卒業年にバルケシル警察署に勤め始めた。その後様々な階級につきながら、1975年から1984年の間アンカラ警察署で任務に就いた。
―1984年から、ヨスガト県警察署長に就任し、その後メルスィン県警察署長を務めた。
1988年から1991年の間、警察総局副局長を務めた。
 ―ヒュセイン・チャプクン氏は1991年から1992年までアンタルヤ県警察署長を務めた。
 ―1992年から1993年の間、捜査、作戦計画、統率の専門家としての任務に就いた。
 ―その後、ガズィアンテプ、マニサ、アダナとブルサの県警察署長を務めた。2006年に、出身地イズミルの県警察署長となった。
 ―ヒュセイン・チャプクン氏は、イズミル警察署長であった時に、2009年6月18日付の官報で発表された決定により、イスタンブル署長に任命された。
 ―2010年5月13日付の決定によりウードゥル知事となった。短期間この職に就いたのち、ウードゥルを2010年5月29日に離れた。同日、イスタンブル警察署長に就任した。
 ―既婚で父でもあるフセイン・チャプクンは、イスタンブル警察署長を務めていた。

捜査についての情報はなかった

 トルコを揺るがした汚職捜査については、イスタンブル警察署長ヒュセイン・チャプクン氏は知らなかったと言われている。チャプクン氏は、捜査ののち、彼に情報を与えなかった警察幹部を解任していた。

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( 翻訳者:藤田昌弘 )
( 記事ID:32344 )