ハーメネイー最高指導者「困難克服には内なる力に頼れ」(1)
2014年01月11日付 Jam-e Jam 紙


 イスラーム革命最高指導者のアーヤトッラー・ハーメネイー閣下は木曜日朝、数千名のイスラーム学者や宗教指導者、ならびにゴムの市民各層と面会し、その中で1356年デイ月19日〔西暦1978年1月9日〕の事件〔※〕の重要な側面の一つとして、最も困難な状況下であったにもかかわらず、堅き信仰と明晰な意識を伴っていたことを挙げ、「ゴムで起きたデイ月19日の事件の最も重要な教訓とは、困難を克服するためには、堅き信仰と敵に対する明晰な意識を保ち、敵の敵意を忘れずに、国民の内なる能力と進取の気質、そして若者の才能に依拠すべし、外にばかり目を向けてはならない、というものである」と強調した。

※訳注:「デイ月19日の事件」とは、革命前夜の1978年1月9日にゴムで起きた反政府デモのことで、このデモの鎮圧の過程で数十名が死亡した。これを機に、死者を悼む40日忌のデモがイラン各地で定期的に行われるようになり、1979年2月革命へと発展していくことになる。

 最高指導者事務所の広報サイトが伝えたところによると、アーヤトッラー・ハーメネイー閣下は1356年デイ月19日のゴム市民による歴史的蜂起の36回目となる記念日に合わせて行われたこの面会で、信徒らへの助力は自らが担う権利であると神が指摘した聖コーランの「ビザンチン」章の一節〔※〕に言及し、次のように述べた。

この節に現れた至高なる神の確かな約束が〔信徒らに〕下されたのは、信徒たちが敵の巨大な戦線に対して一縷の望みも持てなかった状況下でのことだった。ゴムの若者や神学生らが、イマーム〔・ホメイニー〕と反偶像主義闘争〔※反王制運動のこと〕のために掲げられた旗を守るために街頭に出て、自らの血を流した時も、この事件がこのような〔イスラーム革命の成就という〕結果・祝福をもたらすことになろうとは、誰も想像していなかった。

※訳注:恐らく、ビザンチン章第5節「アッラーはお望みの者を助けられる」という章句を指すものと思われる。ビザンチン章は、サーサーン朝との戦いで劣勢に立たされていたキリスト教国の東ローマ帝国が、最後にサーサーン朝に対して勝利を収めるであろうこと、また預言者ムハンマドを嘲笑していたクライシュ族がムスリム軍によって打ち負かされるであろうことを、神が預言したとされる章。

 同師はその上で、「もし堅き信仰が明晰な意識と行動力、堅忍不抜と抵抗の精神と一緒になれば、神の助力は確実なものとなるのだ」と強調した。

 イスラーム革命最高指導者はさらに、「もし神の助力が信徒らに及ばないようなことが時にあるとすれば、それは信仰の弱さか、信仰が誤っていたか、あるいは信仰が明晰な意識を伴うものでなかったかの、いずれかの原因によるものであろう。なぜなら、明晰な意識を持たないということは目をもたないのと同じだからだ。目をもたぬ者は、〔進むべき〕道を判断することができず、道に迷ってしまうのである」と付け加えた。

〔‥‥〕

 アーヤトッラー・ハーメネイー閣下は〔イスラーム世界の〕一部の諸国民による運動・蜂起が不首尾に終わった原因も、神の助力が実現する条件を満たしていなかったことにあるとの見方を示し、「イラン国民は堅き信仰や明晰な意識、行動力、抵抗などのすべての条件を揃えることができた。なぜなら、イマーム・ホメイニーのような誠実で老練な指導者がいたためだ。彼は世界の諸問題に通暁し、物欲や私利私欲から切断され、啓典の書や預言者の慣行に通じたイスラーム法学者だった」と強調した。

 イスラーム革命最高指導者は、過去を振り返り、その良い点や悪い点を学ぶことが必要だと強調した上で、「イスラーム革命の敵どもが、今や自らの敵意を放棄したなどという妄想に囚われてはならない」と指摘した。

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:32580 )