イランからの脱出を助けたTHYパイロットの死、日本で追悼
2014年02月23日付 Hurriyet 紙


日本の(和歌山県)串本町にあるエルトゥールル号慰霊碑で、1985年にイランの首都テヘランに取り残された日本人を救出したトルコ航空(THY)機パイロットの故オルハン・スヨルジュさんを偲んで式典が行われた。

式典にはトルコと日本から代表者が参加し、オスマン帝国末期に日本近海で沈没したフリゲート艦エルトゥールル号の犠牲者とオルハン・スヨルジュさんの象徴する「587+1」のキャンドルが灯された。

式典では、セルダル・クルチ在東京トルコ大使がスピーチを行い、エルトゥールル号の悲劇で命を落とした500人を超す犠牲者の前に立つことを光栄に思うと述べた。

クルチ大使は、亡くなったパイロットのオルハン・スヨルジュさんがテヘランから日本人らを避難させたことは「日本人が見せた勇敢さへの小さなお返し」であると述べ、日本人がこの式典を行ってきたこともまた誠実さを表していると述べた。

(THY機で救出されたイラン戦友会の)沼田準一さんは、スヨルジュさんは当時誰もなしえない場所に行って日本人を救出したと述べ、「この出来事によって、エルトゥールル号に始まったトルコと日本の友好が疑いなくより強化された」と述べた。

THYの元パイロットの1人、スヨルジュさんは昨年87歳で死去していた。

■キャンドルで国旗

式典では、串本町とその周辺に住む何百人もの日本人が、エルトゥールル号犠牲者とスヨルジュさんのために追悼式でキャンドルを灯し、色とりどりの光景を作り出した。

追悼式で、慰霊碑の前にキャンドルで作られたトルコと日本の国旗が話題の中心となった。グラスの中に据えられたろうそくに、日本人は親善の願いと感謝のメッセージを記した。

日本人がエルトゥールル号の悲劇の後行った援助と犠牲者の記憶に示してきた敬意は、トルコ人の側にも代々忘れられることはなかった。イラン・イラク戦争の際、トルコはイランに取り残された日本人救出のためTHY機を飛ばした。

戦争が始まると、トルコは、イランに取り残され外国と隔離された状況下でイランを離れられなかった215人の日本人を、オルハン・スヨルジュ機長の操縦するTHYの「イズミル」という名の航空機を派遣して救出した。

日本人もこのエピソードを忘れず、日本でトルコのこの誠実な友情は大きな反響を呼んだ。

式典には、福田啓二在イスタンブル日本総領事とともに、田嶋勝正串本町長も出席した。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:33047 )