Ismet Berkan コラム:部屋にいる2頭の象を見ないでいること―不正と教団
2014年03月08日付 Hurriyet 紙

トルコ特有の浅い議論をまた経験している。

部屋の中は巨大な象が2頭いる。1頭は「不正」、もう1頭は「教団」を表している。トルコで支配的な言説は、私たちにそのうちの1頭を見ないように強いている。もし公正発展党(AKP)政権のように考えるのなら、「不正」の象を見ないだろうし、野党のように考えるのなら、「教団」の象を目にしないことになろう。なぜ2頭の象は同時には見えないのか?一体どうして2頭と同時に闘えないのか?

双方ともこの考えに「NO」という。そして「まずは私が見たい象を見て、それをどうにかしよう。その後、時間があったらもう1頭を見る」というのだ。もし読者が、「2頭同時に見てやろう、そして両方部屋から追い出してやる」という意見の持ち主だとすると、ご自身がどこからも孤立したようなことになる。

政治というものは、すべての人にどちらかの側に立つよう強いる。ニュートラルな考え方の人が排除となる日々が再び。しかし、「部屋に2頭の象がいる」と発言することは、中道的な立場を指すのでない。むしろ政治組織が、誰しもがどちらかの側を選ばねばならぬという、浅い議論を持ち込んだことを示しているのだ。

政権与党は民意を問うこともせずに、最初から「不正」の象など部屋にいないことにして、「教団」の象をやり玉に上げた。そして野党も基本的にこの状況に真っ向から反対し、まるで「教団」の象がそこにいないかのようにし「不正」の象だけを槍玉に挙げている。

いいだろう、でも政府がいないと言ったからといって「不正」の象は消えはしないし、野党の言うこともまたしかりだ。今日明日いずれにせよ、この2頭を部屋から追い出さなければならない。不正とも教団とも共生はできない。そんなものないと主張するだけでは、それらはなくなったりはしないのだ。

■FacebbokやTwitterの禁止

エルドアン首相は、一昨日出演したテレビ番組で最初の示唆を行った。「選挙後、You TubeやFacebookなどのウェブサイトへの制裁が議論されるだろう。閉鎖することもできる」と発言したのだ。

エルドアン首相がそう発言すると、ルュトゥフ・エヴラン運輸・海事・通信大臣も止めるどころか、本人も昨日登場した。「一国の首相・大統領が罵倒される、ありえない罵倒が行われる。不法に大量の画像がつくられ供される。これらも反発せず受け入れることになる。こんなことはあってはならない。現実世界での犯罪は、ヴァーチャルでも犯罪だ。認めている国など世界中のどこにもない」と述べた。

その発言は正しい、現実に犯罪になる行為は仮想世界でも犯罪だ。しかし、現実世界で誰かがカフェに腰を下ろして首相を罵ったとしよう。その罵倒が空気を伝わって広がる、と屋外に出ることを禁じることなどできない。罵倒した本人を裁判所に連れて行ったりはしない。仮想世界で最初に頭に浮かぶことは、言わば、罵倒が広まる空気を呼吸することを禁じるようなものである。

■危機が近づいている

エルドアン首相の集会で、何者かが出てきて、「泥棒がいる」というプラカードを掲げた。彼はAKP支援者と警備警察によって激しく打ちのめされ命すら失うところだった。

その後、共和人民党のケマル・クルチダルオール党首の集会で、今度は数名が立ち上がって、AKPのスローガンを口にしながら党首に抗議した。そこでも大騒ぎが起きた。

こういった出来事は、過去に経験したことのない危機が近づいていることを示している。上記のような形で主張の相反する政治グループや個人の集会に参加することは挑発行為という。首相への抗議プラカードを掲げ挑発した者のバックにどこかの団体がついているかどうかはわからないが、クルチダルオール党首の集会で行われたアジテーションは、組織的で現場に集団で赴いたことは明らかだ。

実際に大変緊張感のある選挙環境を一層緊張させたり、望まぬ騒動が起きるような状態をつくる権利は誰にもない。扇動的な動きをした双方はこのことを心に留めるておくべきだろう。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:33180 )