まだ14歳の少年が、パンを買いに行く途中警察のガス銃に撃たれた。ベルキン少年は小さな身体で269日の間、死に抵抗し続けていたが、16キロにまで体重を落とし、昨日亡くなった。数千人が少年のために涙を流し、母親のギュルスュム・エルヴァンさんの「この悲しみにどう耐えればよいのか」という声が空に虚しく響いた。
ゲズィ公園の(反政府)デモが続いていた2013年6月16日、オクメイダヌにある家を後にし、パンを買いに行く道中、警察の撃った催涙ガス弾が頭に命中したベルキン・エルヴァン君が、集中治療室で269日間眠ったまま息を引き取った。事故発生時45キロあった体重が16キロまで落ちたベルキン少年は、集中治療室で2回目の心停止を起こし、そのまま帰らぬ人となった。ベルキン君の死は民衆の心に火を付けた。イスタンブルでは座り込みの抗議が行われ、デモ行進も始まった。ベルキン君の母親、ギュルスュム・エルヴァンさんの「この悲しみにどう耐えればよいのか」という嘆きは返答を得ないまま空に虚しく響き渡った。
ベルキン君は、269日間オキメイダヌ教育研究病院で治療を受けていた。入院中、3度の手術と数多くの治療を受けたのもむなしく、3月6日に発作を起こして以降ベルキン君の体調は日に日に悪化していた。45キロから16キロまで体重を落としたベルキン君の小さな心臓は昨日(11日)二度目の心停止を起こし、朝7時過ぎ、天国へ旅立った。
死と戦うベルキン・エルヴァン君を側で見守っていた数千人の市民は、ベルキン君が亡くなるや否や病院に駆け付けた。まずベルキン君の姉のガムゼ・エルヴァンさんが今にも倒れそうな状態で病院から出てきた。母親のギュルスュムさんは「息子の回復を待っていたのに、息子の死を私にお与えになりました。私の息子はアッラーにではなく、タイイプ・エルドアンに奪われました。こんな悲しみにどう耐えられましょうか?」と嘆きながら病院を出た。群衆が「人殺しの政 府は代償を」のスローガンを叫ぶと、悲しみに浸る母親は「(政府は)代償は支払わず、受け取っている」と語った。
■病院に催涙ガス
父親のサーミー・エルヴァンさんは、ベルキン君の遺体が法医学協会へ、その後オクメイダヌ・ジェムエヴィ(礼拝所)へ移されると明らかにした。ベルキン君の同級生を含めた群衆がメトロバスの停留所に向けて行進を始めると、病院前で待機していた機動隊とデモ隊の間で口論が起きた。デモ隊が警察車両に向け石を投げると、最前列にいた車両の運転手は窓を開けデモ隊に向けて催涙ガス弾を放った。その後、警官らも車両の窓を開けデモ隊に対し大量の催涙ガス弾を放った。これが顔に当たった28歳のラマザン・アパイドゥンさんが負傷、頬骨を含む頭蓋骨3か所を損傷し、左目も見えにくくなっていると伝えられた。ガスにより病院で手当てを受けている人もいるという。
■「息子よ、私が代わりに死のう。戻っておいで」
父親のサーミー・エルヴァンさんは亡骸に付き添って法医学協会へ、母親のギュルスュムさんはジェムエヴィへと向かった。ギュルスュムさんは、「撃った人は恥じるがいい。私のベルキンに黒い土は似合いません。私が代わりに死ぬから戻っておいで。母さんがお願いしているのだから戻っておいで、悲しませないでおくれ」 と何時間も涙を流した。
母親のギュルスュムさんに対し、エスキシェヒルのゲズィ運動で一部の警察官と市民に暴行され亡くなったアリ・イスマイル・コルクマズさんの母エメル・コルクマズさん、イスタンブルのウムラニイェで行われたゲズィ運動で車に轢かれ亡くなったメフメト・アイヴァルタシュさんの兄ムハッレム・アイヴァルタシュさん、イスタンブルのアルムトゥルで暴徒集団による襲撃により亡くなったハサン・フェリト・ゲディクさんの母ヌライ・ゲディクさんらが慰めの声をかけた。また礼拝 所ジェムエヴィではベルキン君の伯母サーニイェ・ドゥゼンさんが発作を起こす場面も見られた。
ジェムエヴィ前に集まった多くの市民は、雨の中「ベルキン・エルヴァンは死なない」のスローガンを叫びながら何時間もの間到着を待った。オクメイダヌ地区の商店などは抗議の意味を込めてシャッターを下ろした。ベルキン君の亡骸は午後4時頃オクメイダヌ・ジェムエヴィに運ばれた。
ベルキン君の棺を見たお姉さんは、「ベルキン、どうやってその棺に入ったの」と嘆き悲しみ、90歳になるお祖母さんは「ベルキンだけでなく私の全てのこどもが亡くなった」と涙を流している様子は人々の心を打った。多くの市民が葬儀に参加し、少年の死を抗議した。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:池永大駿 )
( 記事ID:33204 )