クルド系部族長の子孫、未払いの給付金請求
2014年03月16日付 Milliyet 紙


ディヤルバクルのハズロ郡、リチェ郡と村々で1800年代に勢力のあったティムール・アーが率いていたズィルキ部族は、1800年代以降に始まったクルドの反乱に参加したという理由でスルタン・マフムート2世の時代にエディルネに追放された。ゼィルキ部族の名士ハムディ・ベイの孫であるディジュレ大学ズィヤ・ギョカルプ教育学部のカドゥリ・ヤカは、1年間の調査によってオスマン朝時代と共和国期の文書群を調べ部族の状態を映す文書を見つけ出した。ヤカ氏は、先祖であるズィルキ部族のリーダーであるティムール・ベイがクルドの反乱に参加した別の部族長とともに1830年代に追放されたと述べた。

ヤカ氏は、オスマン朝のスルタンが謝罪すれば部族長達を許すと伝えると、他の部族長達は謝罪をして故郷に帰還したが、謝罪しなかったティムール・ベイは追放先で死亡したと述べて、次のように説明した。

「1830年代、私たちの部族は、クルドの反乱に参加したため他の部族と共にスルタンの命令でエディルネに追放された。没収された財産の代わりに部族の構成員の生活を保障するため[従来クルド系諸部族に世襲的に認められてきた支配領域とその徴税権である]ユルトルク・オジャクルク分の給料が支給された。その後スルタンは、追放された部族長が謝罪をすれば赦免し、故郷に戻ることが可能である、と伝えた。他の部族長とは異なり、私の先祖であるティムール・ベイは謝罪しないと、戻ることが許されずエディルネの追放先で亡くなった。ティムール・ベイの子供たちの一人であるエユップは、1861年に支給を受けている給料が十分ではないと、オスマン朝政府に申請し、窮状にあり給料の増額を要望した。エユップ・ベイの要望を聞き入れたオスマン朝政府は給料を増額した。1919年まできちんと支給されていた給料が独立戦争の開始と経済的逼迫のために支給されなくなった。 共和国建国後、つまり1929年に、先祖の一人が、ムスタファ・ケマル・アタテュルクに訴え、支給の滞っていた給料の支払を要望した。要望を聞き入れたアタテュルクは、10年分の給料を一括払いし、その後私たちの知らない理由によって支給が滞った。

■85年分の給料のために裁判

自身が部族のリーダーであったハムディ・ベイの孫であると述べたカドゥリ・ヤカは、部族の10メートルにも及ぶ家系図を出して説明した。ヤカ氏は次のように話した。

「私の調べによると、私は、ハムディ・ベイの孫である。ハムディ・ベイに支給された最後の給料は250リラである。これは、その当時一つの村を売買できる価値がある。祖先のティムール・ベイの最初の給料は3000クルシュ、つまり30リラである。当時、人々の間で「ベシビルリッキ」として知られていた金の価値が2.5リラであることを考慮すると、12ベシビルリッキの金を買うことができる。現代に当てはめると、1ベシビルリッキの金の価値は6000から7000リラほどである。つまり、現在の貨幣価値に換算すると、ティムール・ベイは、月に7万リラ以上の給料を支給されていたことになる。[この算定で]私たちが支給されるべき給料がどのように算定されるべきか、国が理解し、役立つことになろう。当時の貨幣価値を現代の貨幣価値に当てはめるとそのようになる。もちろん、算定するのは非常に困難である。大きな額になると信じている。64の村が今日私たちの手にあったならば、一定した収入があるはずであった。この給料が1929年以降支給されなかったため、家族は窮状をかこった。2013年に私たちが開始した調査によって、オスマン朝時代と共和国以降の文書群を調べて、関係するすべての文書を見つけ出した。これらの文書のおかげで、私たちに85年間支払われるべき権利である給料が、利子と合わせて支給されるよう訴訟をおこした。文化相は、以前にテレビ番組でオスマン朝時代に犠牲となった家族の権利を回復すると述べた。これも私たちに希望を抱かせた。」

■最後の支払いはアタテュルクが行った

ズィルキ部族の弁護士セルハト・カラシンは、部族の給料の支給を受けるために、ディヤルバクル初等裁判所に訴えを起こしたと述べ、トルコ共和国が最後に1929年に給料を支払うことで債務責任を認めたことになり、1929年以後の給料の支払いの必要があると述べた。カラシン弁護士は次のように述べた。

「裁判の争点は、1929年に行われた支払い以後に支給がなく、今後も支払を継続するよう訴えた。給料の本質的な権利と受給のために、トルコ共和国はこれを支払う必要があると考え、訴えを起こした。」

■過去の清算に関する最初の裁判である

ズィルキ部族の給料の受給に関して私たちが始めた法的なプロセスは、クルド諸部族の過去の清算の嚆矢であるとしたカラシン弁護士は、ズィルキ部族はディヤルバクル地域でとても根付いた歴史をもっており、使命があると語る中、「当該地域で特にクルド諸部族が歴史の中で被った行政的措置で受けた犠牲を問題として取り上げ、これを通じて過去の清算を開始したい」と述べた。

■1億リラ以上

カラシン弁護士は、給料の算定で専門家と会いとても大きな数字が出たと述べて、次のよう述べた。

「専門家と行った話し合いでは1億リラ以上の数字が出た。もちろん、裁判の過程ではっきりとした数字が出るだろう。もちろん、ことの悲劇的な側面もある。部族の離散である。トルコ全土に散らばったのである。この過去の犠牲も明らかにする必要がある。」

■ヨーロッパ人権裁判所に提訴する

カラシン弁護士は、ズィルキ部族の給料を受給するために始めた法律的なプロセスで結果を得られなければ、ヨーロッパ人権裁判所に提訴し、私権の侵害と強制移住の犠牲の認定に向けた報告書を要望すると述べた。手元に何百もの委任状があると述べたカラシン弁護士は、部族に関する土地の返還を求めることも付け加えた。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:33241 )