ロウハーニー大統領「表現の自由は皆に認められるべきだ」(2)
2014年03月09日付 Iran 紙

 大統領はまた、プレスは法が支配する領域だが、その一方で法は明確なものでなければならないと強調した上で、「我々はすべてのマス・メディアの責任ある自由に価値を置いている。すべての文化関係者や言論人に求めたいのは、社会の意識を国益に沿ったものにするために、現実をしっかりと国民に伝えてほしい、〔空虚な〕スローガンは少なくし、社会が抱える諸問題を人々に伝えてほしい、ということである」と語った。

 大統領は社会の抱える諸問題として、経済的・文化的貧困や良き倫理の欠如、社会に《中庸》が欠け、《過剰》と《過小》の極端が蔓延していることなどを挙げ、「《過剰》は、あたかも我々が〔国際社会で〕孤立すべきだ、すべての扉を閉めるべきだ、と言っているようであり、《過小》はイスラーム的、イラン的アイデンティティなど日一日と弱まってしまえばよいなどと言っているようだ」と指摘した上で、「私たちはこの社会に中庸(穏健)を求めている。それは過剰と過少とを排除するためだ」と述べた。

※訳注:《過剰》は、いわゆる「急進主義」のことであり、過剰にイラン国民の権利等を主張し、国際社会でのイランの孤立化を招いている考え方のこと。《過少》は逆に、イラン国民の権利には注意を払わず、国際社会との極端な宥和を求める潮流のことを指しているものと思われる。ロウハーニー大統領はここで、いずれの「極端」にも陥らない《中庸》(あるいは穏健)の必要性を説いている。

〔‥‥〕

ロウハーニー大統領、国の文化状況に対する批判の声に回答

 大統領はまた、演説の中で、ここ最近、特に一部の急進派から政府の文化政策に対して起きている批判の声に、暗に答えた。

 ロウハーニー大統領は「なぜ私たちは〔革命から〕35年を経てもなお、〔高位の宗教〕指導者らを社会の文化的状況に対して満足させるような仕事ができずにいるのか」との問いを発した上で、「もし圧力や警察的な手法で文化問題が解決されたのであれば、〔革命から〕あれほどの歳月が経った今日、再び社会の文化〔的状況〕について心配をする必要はなかったはずだ」と指摘した。

 同師は文化の領域における問題が原因となって起きている諸問題として、「社会的亀裂」、「政治的問題におけるゲームのルールの無視〔※個人攻撃や誹謗中傷のことを指す〕」、その他国を悩ます多くの社会的・倫理的問題の存在を挙げ、ここ最近、政府に批判的なグループからの批判の的となっているアリー・ジャンナティー文化イスラーム指導相を擁護しつつ、次のように述べた。

文化イスラーム指導相が革命最高指導者の呼びかけに即座に応じたことを、私は嬉しく思う。これはとても正しい行動だった。しかし問われねばならないのは、我々が抱える文化問題のうちどれだけが、文化イスラーム指導相の管轄下にあるのか、ということである。政府、つまり行政権が文化の分野で自由にすることのできる予算の何倍の額が、その他の〔文化関連の公的〕機関に与えられているというのだろうか。

 大統領は〔国から〕一般予算を与えられ、文化行政に関係した機関のカテゴリーに含まれていながら、語の特殊な意味において国の行政権の監督下にはないその他の〔公的な〕機関の存在について触れ、「もちろん、文化革命最高評議会はこの問題についてしっかりと検討し、与えられた一般予算で、我が国の文化部門が何をしているのかについて、知ることができるようにする必要があろう」と述べた。

※訳注:ここで示唆されている「国から予算を与えられながら、行政権の監督下にはない、文化関連の公的な機関」とは、例えばイスラーム神学校などの宗教界を指すものと思われる。文化イスラーム指導相への批判が宗教界に強く関係した保守派、特に金曜礼拝導師から起きていることが、こうしたロウハーニー大統領の暗示的な批判の背景となっていると考えられる。

〔‥‥〕

つづく




本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
( 記事ID:33247 )