文化・芸術の足元に設置される地雷(上)
2014年03月11日付 Jam-e Jam 紙


「ファジル 詩の祭典」に招待されたヤドッラー・ロオヤーイーの経歴には、亡きイマーム・ホメイニーへの中傷すら見受けられる

 〔2014年4/5月に開催される予定の〕第8回「ファジル(夜明け) 詩の祭典」の、革命路線からの「脱線」が続いている。何と今度は、〔モハンマド・レザー・シャーの妻だった〕ファラ・パフラヴィー事務所の顧問を務めた経歴を持ち、イスラーム革命の創始者〔=ホメイニー〕を誹謗中傷したこともある詩人を同祭典に招待し、そのことについて彼と話し合いを行っているというのである。この人物の見方によれば、1357年〔1979年〕にイランで起きた革命は、「偽り」以外のなにものでもないという。

 本紙の取材によると、昨日第8回「ファジル 詩の祭典」の報道官を務めるアリー・アーバーン氏は複数の公式の通信社と個別のインタビューに応じ、その中で、同祭典の国際委員会を通じて、パリ在住のイラン人詩人ヤドッラー・ロオヤーイーとこれまで複数回にわたって話し合いが行われてきたことを明らかにした。それによると、この詩人は〔詩の祭典に〕参加し、そこで詩の朗読を行うことに同意したという。

 アーバーン氏はロオヤーイーのことを、イランの詩の潮流を作った、多大な影響力の持ち主だとし、この人物への招待を決めたのは同祭典の思想局だったとしている。思想局は「複数の声」をスローガンに、国内外の良質なイラン人詩人を第8回「詩の祭典」に招くことを決定している。

 しかしここで興味深いのは、思想局の理事らの多く、特に「革命詩」の潮流に与している詩人らが、理事会での意志決定への参加に乗り気ではないことである。マフムード・エクラーミーファル、サイード・ビヤーバーンキー、サイード・ユーソフニヤーらはいずれも、1〜2回ほど理事会の会議に参加したことがあるが、しかし何からの理由で、〔詩人・作家で、ロウハーニー政権発足に伴い「詩の祭典」の学術書記に任命された〕アブドルジャッバール・カーカーイーとの協力継続や「詩の祭典」の新たな方針に対して、彼らはためらいを見せている。

 他方、祭典の学術書記〔=カーカーイー氏〕の活動や意志決定を監督すべき同祭典の政策委員会は、これまで一度も会議を開いていない。同委員会の理事の一部は、それぞれ個別のインタビューの中で、「詩の祭典」の現在の状況や、同祭典が選択した方針に対して、批判の声を上げている。

 いずれにせよ、アリー・アーバーン氏の言によれば、「ファジル 詩の祭典」への参加を「受け入れた」とされるヤドッラー・ロオヤーイーの経歴に話を戻そう。

 ファールス通信が報じているように、一部から「40年代〔※西暦でおおよそ1960年代〕のハジム詩〔※新体詩の潮流の一つ。ハジムは「規模」「サイズ」の意〕の先駆者・創始者」と呼ばれているこの詩人は、1310年〔西暦1932年〕に〔セムナーン州〕ダームガーンで生まれた。彼は〔革命前、〕相談役としてファラ・パフラヴィー事務所と協力関係にあった。当時ファラ事務所は擬似モダニズムの詩や文学、絵画を特別に保護する姿勢を示していた。ロオヤーイーはアフマド・シャームルーとともに、「バールー」という名の週刊誌を発行しており、そこで彼らは近代芸術の諸問題やモダニズムへの傾倒の必要性などについて論じていた。

つづく


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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:33258 )