アシュトンによる非公式面会への波紋、国民規模で続く(2)
2014年03月13日付 Jam-e Jam 紙
同長官はさらに、「外国人がやって来て、どこでも好きなところに行き、誰とでも会う、そんなことが許されるようなところが世界のどこにあるというのだ。国には〔外国人の侵入からイランを守る〕《防護壁》がないとでも言うのか」と述べ、外国との関係で外交上の枠組みを超えた面会は受け入れられないとの見方を示した。
アーモリー=ラーリージャーニー長官は演説の別の箇所で、文化問題にも言及し、次のように述べた。
残念なことに、神聖なるイラン・イスラーム体制ならびに同国民に対する敵の大規模なプロパガンダ装置に加え、国内の一部の自称文化人たちは西洋人たちと一緒になって、人間的、倫理的、イスラーム的な規準の否定に動いている。〔文化イスラーム〕指導省はこうした〔イスラームへの〕攻撃に対して、断固たる対策を講じるべきだ。
司法権長官は敵による一連の文化的侵略に対して、国の文化機関、特に文化イスラーム指導省が担うべき重大な責務について指摘し、
〔望ましい文化の普及という〕ポジティブな形であれ、〔悪しき文化の取り締まりという〕ネガティブな形であれ、国の行政機関や指導省には自らの責務を果たす義務がある。あらゆる分野のすばらしい文化作品を保護する一方で、国の文化的価値観を破壊するような作品が制作され、世に広められるような事態、西洋の価値観が蔓延するような事態を阻止する義務があるのだ。
アーモリー=ラーリージャーニー師は「文化的な事柄は銃剣によって推進させることはできない」と述べた上で、
しばしば、文化的な事柄は文化人に任せるべきだと言われる。これは正しい指摘であるが、しかしこのことと、イスラームや革命の規準、社会の価値観に反するような動きを見せているような文化人を取り締まることとは、決して矛盾するものではない。
と強調した。
同師は、すべての機関、特に指導省と司法権は自らの責務・使命を果たさねばならないと指摘した上で、「高級文化というものは預言者らを冒涜するようなものなのだろうか。キサース(同害報復刑)といった宗教上重要な事柄に疑問を投げかけ、非人間的だなどと触れ回るものなのだろうか」と問うた。
アーヤトッラー・アーモリー=ラーリージャーニーは、書籍の印刷・発行にあたっては内容のチェックや法的規準の適用で正確を期し、しっかりと監督するよう指導省に求めた上で、
書籍のチェックについては、我が国には明確な法律が存在する。ところが残念なことに、放縦を広めるような内容の著書が刊行されているのが目に付く。疑問なのは、なぜこうした書籍に発行許可が与えられているのか、ということだ。
と指摘した。
同師は憲法の条文や文化革命最高評議会の決定に言及し、最も重要な問題として、・宗教的に神聖視されているものを冒涜すること、・宗教的原理に反するようなことを言い広めること、・預言者を侮辱すること、・世俗主義を広めること、・非倫理的なことを普及させること、などを列挙し、こうした内容の書籍を発行することは法的規準に反すると述べた。
アーヤトッラー・アーモリー=ラーリージャーニーは、文化的な領域で法律を施行することは、行政機関の義務だとした上で、
宗教的知の根幹に疑問を投げかけるばかりでなく、コーランにまで狙いを定めて、「コーランは神の啓示に対する預言者の人間的解釈に過ぎず、それゆえそこには誤りがある可能性がある」とし、もしコーランの章句が今日の科学に反するようなケースがあった場合には、コーランを排除してもよい!などと考えているような人物の著作が発行許可を得ているのは、誠に残念である。
と付け加えた。
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( 翻訳者:白糸台国際問題研究所 )
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