コラム:シリア問題にかんするジュネーブ会議の失敗
2014年04月14日付 al-Hayat 紙


■「ジュネーブ会議の枠組み」失敗

【ガッサーン・シャルベル】

国連はシリアの問題から手を引くことはできない。また、紛争の犠牲軽減のために手を尽したとも言えない。国連の果たすべきこととは、毛布や子供のミルクを配給するだけであるはずがない。シリアの危機は近隣国・遠国問わず諸外国にとっての危険を生む。いわゆる「シリアからの帰還移民」と呼ばれる集団に対する西側諸国の懸念については、これまで十分に指摘されている。西側諸国は、彼ら帰還移民の「ムジャーヒディーン」を自爆者予備軍と見なし注視している。

国連は自身の手を洗い流すことはできない。安全保障理事会は、国際の平和と安全に対する脅威となる火の粉を振り払う義務がある。藩基文国連事務総長は、今後も連絡調整を行い真摯な態度を示し続けるだろう。また、アフダル・ブラヒミ(イブラーヒーミー)特別代表も、自身の職務遂行を阻む壁に空く穴がたとえ小さなものであったとしても、解決の模索を続けるだろう。

解決の試みが続けられることは、明白な事実を排除するものではない。今や、「ジュネーブ3」への言及は意味をなさない。そして、その開催の正当化も同様である。自身を勝者とみなす政権側が、移行期統治機関に関する議論に再び話の筋を戻そうとすることは有り得ない。そして、政権が交渉のテーブルにおいて、反体制派に彼らが戦場では手にできないものを差し出すことはないだろう。また、反体制派も、ジュネーブでの交渉が、再び大統領選挙を行うことを予定するバッシャールアサド大統領との共存を事実上調整する枠組みで行われる限り、ジュネーブ会議の道に再び戻ろうとはしない。そして最大の疑念は、ブラヒミ特別代表が果たして新たな交渉の席を用意することに、いまだ関心があるのかということである。新たな交渉がなされたとして、それが参加する両者にとって目覚ましい契機になることもない。事実、「ジュネーブ2」では何も生まれなかったではないか。

(後略)



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:辰巳新 )
( 記事ID:33457 )