アラブもトルコが落とすお金が必要
2014年05月04日付 Zaman 紙

「アラブ人に金を遣りたくない」、「我々を裏切った」、「まわりはアラブ人観光客であふれている」といった表現は、トルコでアラブ人への差別的な言葉の一部にすぎない。さらに「わかったならアラブ人になろう(訳注:“さっぱり分らない”を意味する慣用句)」というような無意識に言われる慣用句もある。トルコ・アラブ関係は近年比較的いい道に入っているが、過去から来る偏見が我々から離れない。

先週エディルネのショッピングセンターでファンたちと集まったアーティストのレマン・サム氏は、「巡礼やウムラー(訳注:巡礼月以外の巡礼)にはいかない。アラブ人に金を落としたくないからだ」と言った。彼は同じ集まりで、エディルネがとてもヨーロッパ風で文明的な都市だとも話した。普通のアーティストとファンの集まりで、どうやって話題がここに至ったのかはわからないが、社会的な過去が我々にいくつかの推測をもたらしてくれる。トルコではケマリスト思想の根付いた層が「西を崇め、東を見下した評定をする」ような習癖があるのを例えば我々は知っている。また、ある層が「知識人」の身分の後ろに隠れて他の層の人々に対して嫌悪の言葉を正当化できることも。

もう一方で、アラブ人に向けたこの種の否定的な言葉を最初に口にしたのがレマン・サムではないことは疑いがない。以前も元CHP事務総局長のオンデル・サヴ氏が、巡礼に行きたいと言った市民に、「よしなさい、アラブ人に金を与えるな」と言ったことがある。この表現が聖なる旅路を距離を置いて見る層のスローガンになったことは事実だが、これが共和国世代になってからの考えであるとすることも正しくない。なぜなら、「アラブ人は薄汚い民族だ」、「まわりはアラブ人観光客であふれている」、「アラブ人は我々を裏切った」というような言葉を我々が我々の周りで頻繁に聞くことや、時々実際に口にすることを誰が否定できるだろうか?「わかったならアラブ人になろう(まったく分らないの意)」、「アラブ人の髪になった(もつれた、こじれたの意)」のような完全に我々の言語に定着した慣用句や、犬を「アラブ」と名付けることには我々は全く無頓着だ。要約すると、意識的に、あるいは無意識に、共通の過去を共有し非常によく似た文化を持っている民族を、我々が上から見下していることは明らかだ。それだけに止まらず、預言者(祝福と平安あれ)がアラブ人であることを悪く言うものさえいる。

■メディアと教育現場の言語をきれいにする必要がある

トルコ・アラブ学術文化芸術協会のムハンメド・アディル会長は、両民族間で時々表出する否定的な言葉の原因が過去にあると考える。歴史においてトルコ人とアラブ人の間に、当時のイギリス統治によって見えない人工の壁がつくられたと話すアディル氏は、「ある時期の先見の明のない統治、双方で支配的だった異様な民族主義、教育システム、そしてメディアによって我々はこの人工の壁を本当の壁にしてしまった」と言う。両民族をお互いに疎外するために作られたこの人工的な壁は特に共和国時代に強化されたと強調するアディル氏は、「アラブ側でも強まる民族主義の要素が双方の関係に害を与えた。そしてそれらも疎外計画のための道具になった」と話す。

25年間トルコに住むチュニジア生まれのアディル氏は、レマン・サムの例のように言葉において双方がお互いに完全に知らないことが影響していると考えている。「この否定的なイメージを持つ人たちはアラブ諸国の文化近くから触れたことがまったくない。アラブ諸国を訪問すれば、双方の文化が近いことをとても簡単に見ることができるだろう。これらは遠くから行われる解釈だ」

トルコ・アラブ関係の専門家で、トルコとアラブ世界の様々な大学で講義をするアディル氏は、ここ20年でトルコ・アラブ関係は「とても良好」であるとしている。過去と比べて経済、政治、社会的関係の観点からとても良好なところに来ていると述べるアディル氏は、「もちろんこのために20年では足りない。とても長い期間、国家、人々、学界そしてメディアに大きな責務を課す長いプロセスが必要だ。特にメディアの言語をきれいにする必要がある」

人種差別と虐殺の問題で実績のある歴史家ウミト・クルト氏は、レマン・サム氏の発言を「きわめて典型的なケマリストのオリエンタリズムの例」だとし、トルコでアラブ人へのこの差別的な言葉の内容は、エドワード・サイードに影響を受けたオリエンタリストの見方からできていると主張する。「共和国の原則で育てられたこの層とケマリズムには、自身の社会と人々に向けて常に内的オリエンタリズムの見解がある。つまり人々は元は無学であるため、教育され、しつけられることは不可欠なことして見られる」

■トルコ民族主義にはアラブ人への大きな冷たさがある

アメリカのクラーク大学で博士課程に在籍するクルト氏によると、共和国の世代のイスラムとムスリムアイデンティティーの理解がアラブ人のそれと異なり、よりソフトで改革的であると定見を持っている。彼らはアラブ・イスラムがより急進的で過激派的であると考えていると話すクルト氏は、「もちろん加えて歴史から来る『アラブの裏切り』は、この差別的な言葉の下にある重要な歴史的理由の一つである。トルコでの信仰のあつい層と保守的な層には、アラブ人のイスラムの理解をものにしない傾向を見ることができる」と述べる。しかしアラブ人へのこの否定的な言葉の下にある根本的な問題が、トルコ民族主義とトルコ国民というアイデンティティーの創設と互いに関係していると主張するクルト氏は、「特にトルコ語の浄化、つまりアラビア語とペルシャ語の影響から救い出す運動で始めたトルコ民族主義において、アラブ人とアラビア語への大きな冷たさがある」と話す。アラブ人への差別的な言葉がより文明的な概念から出てきたと強調するクルト氏は、以下のように話す。「トルコ人の文明創設の特徴が言及されているが同じ特徴がアラブ人にはなく、アラブ人の文化に由来しない言葉が優れていると言う考えが作られた」

トルコ国民というアイデンティティーの形成とトルコ民族国家の成立過程が根本的に特に世俗的なプロセスであったとするクルト氏が、この過程での宗教の利用について話したことは衝撃的だ。「しかし人々はこのアイデンティティーをものにするために、常に宗教が必要だった。イスラムはこの意味で重大な不足を取り除き、このアイデンティティーを創る人たちからも、道具として使われた。しかしこれをしているときに彼らは可能な限りイスラムの『世俗的な』バージョンをものにした。なぜならばイスラムは、トルコ性を支える一要素にすぎないと見られたからだ。そして、イスラムの民族化された形を形成しようとした。そのため、このようなアイデンティティーの構想にあたり、同じイスラムの理解を持つアラブ人アイデンティティーの場所はありえなかった。同じ宗教、さらには宗派を信仰しているアラブ人から自分たちを分離させ、彼らを疎外する必要があった。この点で『アラブ人は我々を裏切った』そして『裏切り者のアラブ人』といった言葉が重要な働きをした」

■アラブ人への差別的な態度は、イスラムへの態度から来ている

インターネット上に作った「差別語辞典」という名前のブログでマイノリティに対して使われる差別表現を集めた政治学者のアフメト・オズジャン氏は、トルコに住む人々の基本的価値観の一つであるイスラムに関係する「巡礼」に、エリート主義的で、上から目線の言葉が使われていると話す。「もちろんエリート主義的であれ、あらゆる種類の考えが述べられるべきだが、このエリート主義は『アラブ人』へ行われる差別によるものだ」と述べる。オズシャン氏は、ここで言われることを分りやすくするなら、「アラブ人に様な民族に金を稼がせるくらいなら、『例えば』パリに行ってフランス人に稼がせる」というような表現が出てくるという考えだ。すべてのアラブの人々に向けた敵対的な態度がこれらの言葉にはっきりと見えると強調する。「残念なことに、トルコではアラブ人への差別的な態度は、特にイスラムへのエリート主義的態度で行われている。つまり、この考えの元にはアラブ人への差別とイスラムへのエリート主義があると私は考えている」



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:33766 )