シェイフ・ナーズム・クブルスィー、死去―ナクシュバンディ教団指導者
2014年05月07日付 Zaman 紙


ナクシュバンディ教団の指導者であるシェイフ・ナーズム・クブルスィー氏が、治療を受けていた北キプロス・トルコ共和国にあるヤクン・ ドーウ大学病院にて亡くなった。同氏の遺体は、レフコシャにあるセリミイェ・モスクにおいて告別の祈りが捧げられた後、埋葬されるためにレフケへ運ばれた。

ヤクン・ドーウ大学病院は、本日クブルスィー氏が多臓器不全が原因で死亡したと明らかにした。

病院による書面での発表では、以下のように述べられた。

「シェイフ・ナーズム・クブルスィー氏(メフメット・ナーズム・アディル氏)は、2014年4月17日にジェンギス・トペル病院で急性呼吸器疾患・心臓疾患があると早期診断され、ヤクン・ドーウ病院へと転院してきた。胸部疾患・アレルギー・睡眠科部長であるフィン・ラスムッセン医師と心臓科部長であるバルシュ・オクチュン医師によって診察を受け、必要な全ての検査がなされた。

病人が病院を訪れた際に、意識不明になり血圧も下がり、人工呼吸器も装着した。必要な全ての治療が始められ、集中治療下に置かれた。施されたあらゆる診断の結 果、心肺機能が良好になり、不快の主要な原因が感染に結びついた急性呼吸器疾患と慢性腎不全の上で発展した、急性腎不全であることが確認された。

2014年4月17日以来集中治療室にて治療が続けられていたシェイフ・ナーズム・クブルスィー氏は、いかなる検査や治療によってでも、慢性肝不全の影響のためここ3日間さらに病状が悪化し意識不明となり、あらゆる治療の甲斐もなく血圧の低下が続いていた。

ヤクン・ドーウ大学病院と医師らは「92歳だったシェイフ・ナーズム・クブルスィー氏が存命でいられるよう最善を尽くしたが、多臓器不全が原因で、今日の13時30分に彼は神のもとに行ってしまわれた。」

■遺体はレフケで葬られた

ナクシュバンディー教団の指導者であるシェイフ・ナーズム・クブルスィー氏は、最期の旅へと向かった。シェイフ・ナーズム氏の遺体は、レフケにある修道場の庭に埋葬された。

今日の午後に亡くなったシェイフ・ナーズム・クブルスィー氏の遺体は、セリミイェ・モスクで祈りが捧げられた後、レフケへ運ばれた。

レフケの入り口から肩に乗せられ神の称揚が口ずさまされながら修道場へと運ばれ、クブルスィー氏の埋葬が始められた。

修道場にて、トルコ共和国の在レフコシャのハリル・イブラーヒム・アクチャ大使、北キプロス・トルコ共和国のタリプ・アタライ宗教大臣、国会議員ら、NGOの代表者ら、高官ら、クブルスィー氏の親族、多数の弟子とレフケ市民が集った。

クブルスィー氏の遺体は祈りの声と共に修道場の庭に埋葬され、多数の報道関係者もそれを見守った。告別式に合わせ警察はレフケ広域で安全対策を講じた。遺体を葬るために修道場の外から土が運び込まれ、周囲へはギンバイカの枝も献花された。

■どのような人物であったのか?

ナーズム・クブルスィーまたはシェイフ・ナーズム、もしくはメヴラーナ・ナーズム・エル=ハッカーニー・クブルスという人物は、キプロスのラルナカで1922年4月21日に生まれたシェイフ・ムハンメド・ナーズム・アーディル・クブルスィー氏であり、スーフィーでナクシュバンディ教団の指導者であった。

家系は、母方はメヴレヴィー教団の設立者であるメヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミー師へ、父方はというとカーディリー教団の設立者であるアブデュルカーディル・ゲイラーニー師へと遡る。1940年代にイスタンブルで化学を学んだ。イスタンブル滞在中にナクシュバンディ教団の指導者、スレイマン・エルズルミー氏を師事した。ある期間修行をした後、指導者の許可と指示により、ダマスカスへ向かい、シェイフ・アブドッラー・ダゲスターニーにより精神的指導を受けた。

ダゲスターニーの命令でもって人々へイスラム神秘主義の教育を施し始めた。1973年にダゲスターニーの死によって、代わりに指導者の座に就いた。1941年にハジュ・エミネ夫人と結婚し、四人の子をもうけた。トルコ語、アラビア語、英語、キプロス・ギリシャ語の四言語を操ることができた。

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( 翻訳者:足利阿紀 )
( 記事ID:33796 )