トルコ広域で地震―バルコニーからの飛び降りでけが人多数
2014年05月25日付 Hurriyet 紙
1999年8月17日の地震によって大きな犠牲を出したトルコは、昨日(24日)正午頃、当時を思い出した。マルマラ地方とエーゲ地方は40秒間M.6.5の地震に揺れ、人々は外に飛び出した。1人が心臓発作で死亡した。多くの人がバルコニーから飛び降り、266人が負傷した。
マルマラ・エーゲ地方で昨日12時26分、マグニチュード6.5の地震が起こった。ボアズィチ大学カンディッリ観測所地震研究所は、地震はトルコ西部のすべての県で感じられ、震源はギョクチェアダ西部のエーゲ海であると結論づけた。
さらに夜中の3時8分、エーゲ海を震源とするM.4.3の地震が発生した。ギリシャ沖のエーゲ海を震源とするこの地震は、深さ39.43キロメートルで発生したという。
■余震
地震は海底11.3キロメートルの深さで発生し、40秒間続いた。チャナッカレ、エディルネ、イズミル、テキルダー、バルケスィルでは非常に強い揺れが感じられた。
M.6.5の地震に続き、同じ地域で70回の余震が起こった。最大M.5.3、最も小さいものでM.2.3の余震が観測された。そのうち6回はM.4以上だった。
■1人が死亡、266人負傷
地震は特にトルコ西部地域でパニックを引き起こした。首相府災害緊急事態局(AFAD)は、この地震によって重傷1人を含む266人が負傷したと発表した。テキルダー県マルカラ郡では1人が心臓発作のため死亡した。
■電話が不通に
地震後、GSM通信に生じた障害について、公式発表が行われた。タイフン・アジャレル情報技術・通信機構長官は、ケーブルや電話局には問題がないと発表した一方、過剰な利用によって遅延が起こったと説明した。
■病院にヒビ、ミナレットは倒壊
チャナッカレ中心部でもいくつかの建物でひび割れが起こった。イェニジェ郡国立病院でもひび割れが起こった。建物に危険が生じたため、患者の避難が開始された。国立医療捜索救助チーム(UMKE)が野戦病院を形成した。
テキルダーのハイラボル郡では、老人介護施設の壁にひび割れが起きた。エディルネのカラアーチでは、朝食店の庭の木が、駐車されている車の上に倒れた。ケシャンではある人がバルコニーから飛び降りて足を骨折、またある人は頭にレンガが落ちてきた。
バルケスィルのエドレミトでは、バルコニーから飛び降りた1人が重傷を負った。
1999年8月17日の地震で大きな被害を受けたサカルヤでは、人々がパニックになって外に飛び出した。
イスタンブルでは負傷者は出なかったものの、恐怖とパニックが起こった。
地震はギリシャのリムノス島、サモトラキ島、レスボス島、タソス島にも被害をもたらした。これらの島々では、80棟近い家や職場とリムノス空港が被害を受け、18人が負傷した。
地震はブルガリア、ルーマニアでも感じられた。
■テペキョイで大きな被害
地震で最も大きな被害を受けたのは、ギョクチェアダだ。70棟からなるギリシャ人の村、テペキョイでは、住宅のほぼ全てが被害を受けた。
ギョクチェアダで最も標高の高いテペキョイでは、ギリシャ人住民が住宅に入ることをおそれ、屋外で夜を過ごした。自宅が被害を受け、おばの家が倒壊した63歳のエフテルピ・バッカルさんは、涙を浮かべて起こったことを語った。「電話が鳴り、引き返しました。辺りを見回して恐ろしい光景に直面しました。壁が私の上に倒れてきました。電話を取るために引き返さなければ、壁の下敷きになったでしょう。ショックです。トルコ赤新月社と軍がそばにいます。」赤新月社は、村の入り口にテントを設営し、自宅に戻りたがらない人々に食事の支援を行った。
一方、この地域での余震は一晩中続いた。(上の)画像は、地震が起きた地域を示している。
■予測していた
ボアズィチ大学カンディッリ観測所のヌルジャン・オゼル副所長は、エーゲ海での地震が起こりうるマルマラ地震を誘発する可能性はないと述べた。「この断層線は、マルマラ海で我々が想定している北アナトリア断層帯の、マルマラ海内の北側に伸びた部分とは無関係だ。南から伸びている断層だ。M.6.5規模の地震の後に二度のM.5規模の余震が起こったとしても、その中での単一の地震であり、それ自体の秩序の中で作用し、減っていくことを我々に示している。」
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:永山明子 )
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