夫が殺人を犯したセルチュク大学部長に辞任要請―正しいか?
2014年06月10日付 Milliyet 紙
セルチュク大学で起こった殺人事件を受けて、大学の運営は殺人犯となった教授の妻である学部長の辞職を要請したが、これに対し法曹界や政界から反発を受けている。
アンカラ大学法学部教職員のハサン・イシギュザル教授は、刑法や行政法の観点から、学部長への辞職要請には法律的な根拠が全くないと述べた。
イシギュザル教授は、世界人権宣言や憲法に依れば、罪や罰は罪を犯した当人に限定的なものであると述べる。「法律的に学部長へ辞職要請はできません。世界人権宣言や憲法を見れば、罪や罰は『個人的』なものです。近親者が犯したと主張される罪の為に罰せられることはありえません。配偶者、子供、両親といったようなあらゆる近親者が、その人が犯した罪の責任をとる必要があるとは見なされません。高等教育機構(YÖK )法や刑法にも、このような適用、規制はありません」と述べた
イシギュザル氏は、辞任要請が本当なら、この事件の犠牲者の一人は学部長であることを述べた。「このようなことが起き、大学の運営や同僚は彼女を特にサポートするべきときなのに、辞職を要請するのはまったく間違っている。しかしYÖK 法や刑法ではこのような適用はありません。絶対に辞職してはいけません」と述べた。
■「法律の面から辞職は要求できない」
法律主権協会会長エルデム・アクユズ弁護士も学部長は夫の犯した罪の為に辞職を要求されることはなく、またこのことが憲法においてもトルコ刑法においても YÖK法においても法律的な根拠がないことを述べた。
アクユズ弁護士は、学部長がこの事件で非難される筋合いはなく、また事件に全く関与していないこと、彼女自身は刑事訴追の対象ではないことを述べた。「供述が取られて解放されました。有罪となれば、その時は離職を要求され得るでしょう。そもそも、本人が被告となる場合をふくめ、裁判が続く間すべての容疑者は「推定無罪」とされる権利がある。この為、辞職は要請されません。恐らく大学の運営側は学部への疑惑を晴らすために学部長へ辞職を要請したのでしょう。運営の理解では適切な措置を行った可能性があるが、法律の面から見ると全く根拠はない。罪は個人的なものであり、その罪を犯したものと事件に巻き込まれたものを繋ぎます。その女性は捜査されず、検察当局は不起訴としました。よって彼女は事件と無関係です。従って辞職の要求は不当です」と述べた。
■「人のすることではない」
共和人民党(CHP)の事務局長ギュルセル・テキン氏もまた、夫の犯した罪を理由とする学部長への辞職要請は「人のすることではない」と述べた。テキン氏は、「ある人が、また別のある人の犯した罪の為に不当に扱われることは承認できません。これは人間的な行為ではありません」と語った。
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■「大学部長が男性だったら辞職要請されていただろうか」
アンカラ弁護士協会のセマ・アクソイ会長は、大学学長の態度には、もう既に傷ついている女性に向けた社会的また精神的な抑圧であると語り、さらに学部長が女性ではなく男性であったらこのような扱いを受けただろうか、と問いかけた。これが恣意的、また主観的な評価であることを述べた。
アクソイ会長はまた、罰は本人が受けるという原則に基づき、罪を犯した犯人が罰せられることが基本であるとして、「ここで犯人の罪に全く関与していない配偶者が、大学の運営側からの処罰に値する辞職要請など、容認できるものではありません。民主主義的な法治国家で容認することのできないこの対応は、実際には客観的な評価からはほど遠く、既に起こった事件の為にかなりの傷を負っている学部長を罰することは同時に社会的・精神的な抑圧です。同時に、女性に向けられる世間の目の指標になると考えています。このようなプロセスは法治国家に例がなく、ただ非常に恣意的で主観的な評価の結果であると考えます。法律的な根拠がないこのようなプロセスが行政裁判所に持ち込まれることは明らかです。学部長が女性ではなく男性であったら、配偶者がしてしまったこと、またはしなかったことについて同じような責任を負っていたでしょうか、これについても議論が必要です」と語った。
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( 翻訳者:松井友紀 )
( 記事ID:34252 )