イラク・シリアのイスラム国のおかげで、クルドはキルクークを無血で手にした
2014年06月22日付 Radikal 紙
トルコで1974年に設立され、1980年9月12日のクーデターで党員らが国外に亡命した非合法組織クルディスタン社会主義党(KSP)のメスット・テッキ書記長はアルビルに住んでいる。同氏はISISがモースルを掌握したおかげでクルド人が無血でキルクークを手にすることができたと述べた。
非合法となり34年間トルコに帰国できないでいるメスット・テッキ書記長はイラクの状況について論評した。ケマル・ブルカイ氏の退任後、KSPの書記長となった同氏は旧名「イラク・イスラム国家」であったこの組織がその後「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」と名称を変更したこと、この組織がクルド人らを殺す一方、バグダード(イラク政府)を悩ませていると語った。メスット・テッキ書記長は、イラク憲法の140条にあるキルクークを含む地域での国民投票が行われた場合、クルドが勝利するのをバグダードが知っていることを、またこのためクルドへの(ISISの)攻撃に対して沈黙していることを話し、以下のように述べた。
「マリキ首相はクルドだけでなくスンニ派との関係をも壊した。スンニ派の権利を求める抵抗を、血をもって鎮圧し、数十人のスンニ派を殺した。スンニ派は今回、武装抵抗を開始し、ISISは強大になった。過去にマリキ首相と共同してISISと戦ったスンニ派のアラブ部族は、今回スンニ派と協力し、マリキ首相に対して戦いを始めた。モースルの陥落とともに生じた治安上の空白を埋めることがクルドにとって必要となった。クルドはこの空白を埋める際に、私が思うに、混乱したひどい状況に陥らないために、クルディスタンの領域外に行かず、ただ自分の境界地域にクルド自治政府の治安部隊ペシュメルゲ(もしくはペシュメルガ)を送っただけだった。ある意味でバグダード政府が、実現しないようにあれこれ言い訳を繰り返していた140条は事実上実現した。この地域は現在クルディスタンの治安勢力の手にある。そもそもそこはクルディスタン憲法においてクルディスタン領域に含まれていた」
メスット・テッキ書記長は中東地域において、時に悪い集団であっても、彼らが行ったことが良い結果をもたらすことになったと語り、「モースルの占領とイラク軍がこの地域を放棄したことで、クルドがキルクークをはじめとしたこの地域の支配の空白を埋めることになると知っていたとしたら、はたしてISISはモースルを襲っただろうか。140条に示されている地域はISISがモースルを陥落させることで、事実上、(140条どおり)現実のものとなった。
KSPのメスット・テッキ書記長はトルコの公正発展党政権に敵意はないと言及し、「我々は公正発展党が、特にアタテュルク主義システムを変え、民主化させ、クルド問題を解決に向かわせ踏み出した一歩を支持した。また我々は、公正発展党が民主主義のためにさらなる一歩を踏み出せるよう後押しする政策を行った。一部が行っているような公正発展党を敵視するような考えは我々にはない。我々は公正発展党を、彼らが行ったことを見ながら評価している」と語った。
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:星井菜月 )
( 記事ID:34414 )