ISIS民兵のトルコ人少年、負傷で「帰国」
2014年06月26日付 Radikal 紙


ISISとともに戦うためにシリアへ密入国した14歳のタイランは、衝突で重傷を負い国境のトルコ軍の元に置き去りにされた。現在の唯一の望みは家に帰る事である。

ミッリイェト紙のオミュル・ウヴェル記者の報告によると、シリアとイラクで戦い、虐殺をインターネットで配信している「イラク・シリア・イスラム国 (ISIS)」が少年兵を利用している事がアンカラ出身の14歳のタイラン・Ö・Yがシリア国境で重傷を負って置き去りにされた事で今一度明らかになった。45 日前家から姿を消して5人の友人とともに長期にわたって内戦が続くシリアへ行き戦闘に参加したタイラン少年は奇跡的に一命を取り留めた。現在の唯一の望みは家に帰る事である。

「ジハード地域」と宣言されているシリアにおいて、様々な武装集団の中でかなりの数のトルコ人も戦っている。ISISに参加しているものたちの中には少年達もいる。彼らの中の1人はアンカラのアルトゥンダーで暮らす14歳のタイランであった。アンカラで4人の兄と退職した父のヤシャル・Yとともに暮らすタイランは、8年生の後に学校を辞めて家族の大多数のものがそうであったようにニンニクを売って働き始めていた。

■20リラで国境を超えた

タイランは内戦の初期段階でシリアへ行ってISISに参加した兄の一人に影響を受けて危険な旅に足を踏み出した。タイランは、シリアに行くために45日前に町から5人の友人とともに出発した。朝家から出る時に父に仕事に行くと言っていた少年と友人達は、陸路で国境のキリスのエルベイリ郡から密入国業者に20リラを支払って違法な方法でシリアへ入った。ISISの支配下の地域でラッカまで行った少年達はそこで(ISISの)家々に落ち着いた。タイランの5人の友人は1−2日後にトルコへ戻った。タイランはISISの軍事訓練を受けた。一週間後に少年に銃も与えられた。軍人訓練の他には日中家でコーランを読んでいたタイランは、夜な夜なバレーボールをしていた。

■電話で知った

息子が行方不明になってすぐに警察に通報した父のヤシャル・Yは末っ子がシリアにいる事を3日後にかかってきた電話で知った。「シリアにいる」と言った息子に戻ってくるように嘆願した父は、息子を説得出来なかった。タイラン少年は、毎回電話で話す際に「僕は戻らない。僕の事を心配しないでくれ」と父に言って反抗した。父のヤシャル・Yは息子からの最後の電話を6月22日の夜に受け取った。息子はトルコの病院にいる事を述べた。
少年は紛争地域へ連れて行かれた。そこで足の付け根に当たった榴弾の破片によって重傷を負ったため、シャンルウルファのアクチャカレ郡の国境で監視任務に当たるトルコ軍の元に置き去りにされた。少年を軍の元へ運んだものたちは、少年が1998年にシリアで生まれたメフメト・エル・アフメドであると述べて立ち去った。

郡立病院で応急措置を受けた少年はその後シャンルウルファのM・アキフ・イナン教育研究病院へ移送された。そこで8時間に及ぶ手術を受けたタイランは意識を取り戻してから病院で知らない人の電話から父へ電話をし、入院している事を告げた。

■父が来て話した

アンカラを出発した父は、6月23日に辿り着いた病院の記録に息子の名前を見つけられなかったので病院をくまなく回って息子を捜した。父ヤシャル・Y が、タイランがシリア人であると思い供述を得るためにアラビア語を話せる通訳をつれて来ていた警察官に出会うことで状況が判明した。警察の「あなたはどうしてここでウロウロしてるのですか?」という問いに対し「息子を捜しているのです」と答えた父を警察官達はタイランと会わせた。このようにして父と息子は45日ぶりに再会した。恐怖のためにそのときまで全く口をきかなかったタイランは、父を見て話し始めた。14歳のタイラン・Öの病院での治療は続いている。担当医達が、病状は回復に向かっている事を述べている一方、家族は一刻も早く少年をアンカラへ連れて行き治療をそこで続けさせたいと話している。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:岩田和馬 )
( 記事ID:34512 )