Taha Akyol コラム:ギュル大統領の今後
2014年08月25日付 Hurriyet 紙

■ギュル氏はどうするのか?

アブドゥッラー・ギュル共和国大統領の政治復帰が妨げられていることが、重要な政治的サインである。

公正発展党の成立以来2010年まで続いた包括主義的、穏健的、改革的そして中央指向の政策よりもさらにイデオロギー的、急進的政治を目指すというシンボルなのである、ギュル大統領が排除されたということは。政権与党がとってきた、2002年から2010年の間の包括的でEU寄りのやりかたと、近年の厳格でイデオロギー的やりかたのなかに、この方向性を見ることは可能である。またギュル大統領はというと、政治に参加し始めたころから、活動してきたどの段階においても、常に包括的で穏健的な発言と政治の代表者であった。

■ギュル大統領はどのようにして排除されたのか?

実のところ、ギュル大統領を排除するための第一歩は2012年1月に始められていた。与党が出した共和国大統領選挙法では、「共和国大統領経験者は候補者とならない」という条項が加えられた。その目的はもちろんデミレル氏やセゼル氏ではなく、ギュル氏が候補となる可能性を妨げることであった。このため、チャンカヤ(大統領サイド)から批判的な発表が行われた。
憲法裁判所はこれを拒否した。
2014年に起こると想定されたのは、ギュル氏が党首、続いて首相になることであった。世論調査によると、党の支持者の80%近くがこれを求めていた。しかし、今回も党大会が8月27日に開催され、ギュル氏が党首となることが妨げられた(訳註:ギュル氏の大統領任期は8月28日まで)。1日遅ければギュル氏が候補となりえただろうに。このように代表者たちが自由に新たな党首を選ぶ権利をも妨げられた。新たな党首および首相であるアフメト・ダウトオール教授に関する私の見解は、また別に書くつもりだ。

■ギュル氏への冒涜

ギュル氏が排除されたことにおいて、一部に個人的要因がある。「リーダー(になる)」以外にギュル氏のような強力なバランス感覚を持つ人物は望まれていなかったのである。
党内に様々な意見がでることを、「挑発」とみなす巨大政党なのである、問題となっているのは。
この厳格化と急進化が作り出した不快な態度はギュル氏に行われた「冒涜」においてもその姿を現した。さらに、スピンドクター(情報操作の達人)が糧とするのはこの厳格化・急進化政策なのである。

■議会内閣制における共和国大統領

共和国大統領は憲法裁判所のようには機能しえない、なぜなら立法権は議会がもつのであり、共和国大統領の憲法上の司法権はないのである。また個人的には、私がとても重要だと思ってきた多くの法を、例えば裁判官・検察官高等委員会法をギュル氏が元に戻すことを望んでいた。ギュル氏は、共和国大統領の任期中に、公に知らせることはなかったが、話し合いという方法でたくさんの法律を事前に訂正した。チャンカヤの法律家たちは、法を政治目的に合わせるためにではなく、法律に合った状態にするために努力した。分裂の緊張が高まった時期に、ギュル氏は穏健的でまとめあげるための発言を行った。司法長官たちは、各党や与党各層に説明しえなかったことを、ギュル氏には説明してきた。国の扉を万人に開いていたことが、この国で重要な安定機能を果たした。
トルコの法学の分野で重要な人物の一人である故アリ・フアト・バシュギル氏が1960年1月に出版した「基本統治法」という本で説明した「議院内閣制における共和国大統領」は、このように信頼のおける安定要素なのである。

■今後

ギュル氏は今後、党の方向性に全く関与することはない。イスタンブルに暮らし、党を揺るがせたこの人物を「共和国大統領を経験した政治家」に加えるにはまだ早いと考えている。今後ギュル氏はまた活発に活動するはずである、その見解が内外で注目される一人の政治家として。与党はというと、チャンカヤ(大統領府)としても政府としても、ギュル氏のような穏健を代表する有力者がいないので、選んだ新たな道で頑張っていくことになる。エルドアン氏が「英雄たち」とよんだ「若く、ダイナミックな組織と共に未来に向かって歩むことになる」。その時になって私は不安を書くことになるだろう。しかしまだ始まったばかりである。願わくば国に幸あれと考える。

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( 翻訳者:鈴木歩実 )
( 記事ID:35182 )