ダム放水、ピクニックを襲う、死者5名―スィイルト
2014年08月26日付 Hurriyet 紙


アルクムル・ダムで電力生産用に2基が稼働された事が原因で河床に大量の水が放たれた。この水流にボタン川の河川岸でピクニックの最中だった15名が飲み込まれ、そのうち9名が救出された。

まさに生死に関わる事故が発生した現場では死亡した5名の遺体が回収された。父親と2人の姉妹を亡くしたセマーヌール・パルラキュシェルさん(10)の捜索が続いている。水流に飲み込まれた人々の救出を援助したムラト・ゴルさんは、「一気に水位が上昇した。私は妊婦さん1名を含む多数の人を引き上げた。しかし多くの人を水流が奪い去った」と語った。

スィイルト県ティッロ郡近郊に位置するボタン川の河川岸でピクニックの最中に、アルクムル・ダムの電力生産用に前日午後に2基が稼働した。これによる放水に飲み込まれた15名のうち9名が救出され、5名の遺体が夜を徹した捜索活動で発見された。行方不明のセマーヌール・パルラキュシェルさん(10)の捜索活動は継続している。ティッロ郡から5キロ離れたボタン川上流で、リマクホールディングにより電力生産用に建設されたアルクムル・ダムでは、朝に1基が稼働し、前日午後4時には別の2基も稼働されていた。これらが稼働した事により河床に放たれた水量が増加した。

■4キロ離れた場所で放水に飲み込まれた

ダム中央から4キロ離れた地点でピクニックをしていた15名は、何が起きたのか理解できないまま夕方頃に増量し向かってきた水流に飲み込まれた。まさに生死に関わる事故が発生する中、通報を受け直ちに事件現場へ捜索救助隊が向かった。溺死寸前だったエミネ・クンドゥラジオールさん、エミネ・オズタシュさん、レイラ・テンテさん、サブリイェ・テンテさん、ドアン・ギュレチさん、エルジャン・オルグンさん、ギョニュル・オルグンさん、エブル・オルグンさん、そしてベシレ・テンテさんを救出した捜索救援隊は、動員された救急車で初期処置を施した。9名はその後、スィイルト国立病院へ搬送された。

■父親と娘2人が発見され、もう1人の娘は行方不明

深夜まで続いた捜索活動の際に、最初に放水に飲み込まれたオスマン・パルラキュシェルさん(34)と娘のシェヴァル・パルラキュシェルちゃん(6)の遺体が発見された。朝方まで河床で絶え間なく続けられた捜索活動でその後、ベトゥル・パルラキュシェルさん(8)、アフメト・テンテさん(27)、そしてフィクレト・テンテさん(36)の遺体が回収された。オスマン・パルラキュシェルさんのもう一人の娘セマーヌール・パルラキュシェルさん(10)は発見されなかった。

■一気に水位が上昇

事件時に現場にいて、放水に飲み込まれた人々の救出に援助したムラト・ゴルさんは、「一気に水位が上昇し、人々が溺れた。ここでピクニックをしていた人がたくさんいた。私は水中に飛び込み妊婦1名を含むたくさんの人を引き上げた。その間も、多くの人を水流が奪い去った。私が河床から引き上げた人達をその後到着した救急車が病院へ搬送した」と話した。

■検事局は職務怠慢を捜査中

スィイルト県共和国検事局が捜査を開始した。スィイルト県からの発表によれば休暇中だったスィイルト県のムスタファ・トゥトゥルマズ知事は、事故を受けて休暇を中断しスィイルト県へ戻り、事故に関する司法・行政捜査が開始された。スィイルト県弁護士会のアジャル会長も、この事故が早急に捜査を受け、ダム関係者らの職務怠慢が解明されるよう刑事告発状を提出した旨を明らかにし、「我々は事故を追跡していく」と述べた。

■子供達を救出しようとして放水に飲み込まれた

放水に飲み込まれたオスマン・パルラキュシェルさんが、娘2人を救出しようとした時に死亡した事が明らかになった。目撃者のマーシャッラー・オゼヴィンさんも事故当日ピクニックに出かけた一人で、放水が向かってきた際に逃げたが、3家族は逃げる事が出来ずに放水で出来た小島に置き去りになったと語った。小島で家族らは手を握り合ったと伝えるオゼヴィンさんは、「携帯電話の電波が入らなかったため、私たちは高台へ上り電話で助けを求めた。約40分後に水位が更に上昇した結果、置き去りになった家族たちは水流に飲み込まれた」と述べた。
更に、水位が上昇する前にサイレン音が聞こえなかったと断言し、以下のように語った。「大人は子供たちを連れて、水流の反対側に行こうとしていた。オスマンさんはやろうとおもえば自分の命を救うことができただろう。彼は子供3人を水流から救おうとし、救助できず子供もろとも水流に飲み込まれてしまった。彼の妻は別の人が救助した。彼は子供達を助けようとして、共に水中で溺死した」

■15分で水位が10メートルを超えた

救助後に病院で治療を受けているエルジャン・オルグンさん(38)は、彼の一家がピクニックをした地点の水位は深さ20センチメートルであったと話し、何が起きたのか以下の様に説明した。
「私たちは靴を履いて散策し、腰を下ろした。ちょうど食事をしようとしたとき、上流から叫び声が聞こえた。上の方も人が一杯で、上流にも沢山の人がいた。私たちは逃げようとした。あれ程の災害を今まで経験した事がなかった。最初に私の娘が水にさらわれたので救い出し、それから川へ戻って息子と一緒に妻を引き上げた。当然、その時には私たちは力尽き、他の人たちを助けることはできなかった。他の人たちも一致団結して互いの手を取り合い、シャハーダ(信仰告白)を唱えながらその場で待機した。
私は車に飛び乗り、橋を渡って幹線道路へ出た。幹線道路で見つけた人を立ち止まらせた。ハジュ・ベシルという名前の人だった。『あなたの携帯電話を貸して下さい、私たちの電話は水浸しになって使えない』と言って、軍警察に電話を掛けた。彼らは『ダム水門を閉じる事が出来るのは知事だけだ』と言った。彼らは10分後に10-15台の救急車を現地へ動員した。私は事故現場に戻ったが、誰も残っていなかった。皆、水に飲み込まれてしまっていた。右側の岩場へ移動した人たちは溺れてしまっていた。左側には茂みにぶら下がり半気絶状態の人たちがいた。戻るときに彼らを見つけ、私たちが救出した」

■ サイレン音が聞こえなかった

「私たちは間違いなくサイレン音を聞いていない。そもそも、放水はサイレン音の数分後或いは半時間後に行われることになっている。つまり、もしそのサイレン音を聞いていたなら、皆、その場から離れていただろう。私は彼らにこちら側に来るよう呼びかけたが、彼らは流水の中にできた島の中心にとどまった。亡くなった人たちは島の中央に取り残されていた、私の義理の兄弟をはじめとして3家族がそこにいた。私は彼らに『こちらに来い、私があなたたちを救出する』と叫んだ。うち一人が私に自分の車のキーを投げてよこし、『車を確保してくれ、そしたら私たちは助かる』と言った。
ともあれ私たちは彼の車を上に移動させたが何を言っても彼らは来ない。彼は『私たちを助けてくれ、私にロープを投げて』と言う。あの場所でどこからロープを投げろというのか。私の義理の兄弟一家は水の中に飛び込んだ。彼らはちょうど岸まで10メートルのところで力尽きてしまった。息子のスレイマンは義兄の娘のところへ飛び込み、彼女をその場から脱出させた。私たちはもう1人の子供にドラム缶を投げ、子供はそのドラム缶にしがみつきながら10メートルの距離を移動して前進した。
軍警察に通報した時に、私たちにヘリコプターを出動させてくれればよかったのだが。彼らは救急車を派遣した。救助隊は救急車の次に来た。水は本当に次々と押し寄せてきた…私たちはいつもピクニックへ行く度に水位がゆっくりと上昇する様子を目にしていたが、今回こういうことが起き、15分、20分も経たないうちに水位は10メートルを超えた。車は水没した。本当に今まで生きて来てこういった事を経験したことがない。あの子供達の叫び声が耳に焼き付いている。」

■ サイレンは鳴ったのか

スィイルト県アルクムル・ダムの水門が開かれた結果、15名が放水に巻き込まれた事を受け、司法・行政捜査が開始された。ピクニックをしていた家族らがサイレンで注意を促されたか否かという事が議論の的となっている。スィイルト県のムスタファ・トゥトゥルマズ知事は、サイレン音を聞いたという人と聞いていないという人の両方がいることを報告した。スィイルト弁護士会により作成された報告書では、ピクニックをしていた家族らがサイレンで注意を促されていない事が主張された。「この事故はダム関係者に過失がある」と言及された。スィイルト弁護士会のメフメト・ジェマル・アジャル会長は以下の様に語った。「ダム現場で過去にも管理会社により軽率かつ制御なしに放水された結果、多数の市民が死亡している。ダム関係者らには過失がある。ダム水門が万が一破損していないのであれば、ダム関係者は放水前に市民に注意を促さねばならない。事故被害者らがサイレン音をまったく耳にせず、ダムの水位が通常よりも急速かつ無制限に急上昇したこと、川の流域にいた村人らが通常とは異なる形で注意を促された事が確認された。」

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:藤井庸平 )
( 記事ID:35189 )