トルコ・シリア国境なき国境―密輸パイプライン地帯の現実
2014年09月13日付 Radikal 紙


シリア危機の負担の見返りに何百もの密輸パイプラインから燃料油がトルコへ流れることに目がつむられた。その協力関係が崩れた・・・。

ケマル・スナルの映画の1シーンでもメキシコ国境の光景でもない。キリスト教徒、スンナ派、アレヴィー派の村々が互いに接するハタイのアルトゥンオズ郡を後にし、「ハジュパシャ市役所、ようこそ」の看板の下を通った後、山頂から麓へとアスィ川が流れる谷の素晴らしい光景に見とれて十分に深呼吸をしてください。なぜなら下に降りると息をのむ別の景色があるからだ。

アスィ川の水が育んだハジュパシャ町はシリア政治の「Zレポート」となっている。水、電気、下水網に加え、家々に「石油パイプライン」が敷設されていることを考えてみてください。フィクション映画にするにもやり過ぎだ。シナリオであれば、敵対する二人の密輸業者がそれぞれ運営するパイプラインを「エンジン」だの「切った」だの言って映画にしたら良いだろう。しかしそこで私が見たものはフィクションではなく現実だ。皆さんに長い間続いてきたその仕組みについてお話しします:

国境のシリア側のエズメリンから始まるパイプラインはアスィ川を通り、農場を突き進み、市役所が道に敷いた石の下を通って家々の裏庭に出る。反対側から注ぎ込まれた燃料油はこちら側で庭々のタンクにつめられている。パイプラインの一端にいる送り出す者と反対側の端の受け取る者の間でポケットからポケットへ、「押す」「止める」の指示で動くパイプライン!時々指示が遅れると燃料油が地面に流れ出る。イスラム国(ISIS)の支配下にあるデリゾールとラッカからトルコの最終消費者に届く燃料油の価格は1リットル当たり1.25リラだ。1バレルが地面に流れ出たとしても問題ではない。ドアの前に来た客は70リットルのドラム缶を積んで去っていく。これは国のシリア政策に肩を貸す村人たちの勲章だ。軍の駐屯地は100メートル先の国境を見渡せる地点からアスィ川をいかだで行き来する難民たちだけでなく、燃料油、茶、オリーブといった密輸品の移動を簡単に許している。現在イスラム国が原始的な方法で精製し売った石油がトルコで消費されているという報道を阻止するため、国は3月以降、この仕組みに干渉した。軍警察はパイプラインを農場の間を通って道に出る地点で切断した。何千メートルものパイプが農場から回収された。兵士は村の出入り口に密輸業者を阻止するために検問所をたてた。仕組みは停止した。こうして協力関係が崩れた。3年間大儲けをしていた者たちは、今、反抗している。

■耳を疑う告白

辺りを移動し、4、5軒の家の庭の石油のルートが見える場所でシリアコーヒーを飲みながら何人か密輸業者の話を聞いた。兵士の暴力に遭ったため、名前は出さずに彼らの話を紹介する。

「ここにいる世帯の80~90%がこの仕事に従事している。パイプの多くは切断されたが、少ない量でも燃料油は来ている。昔ほど燃料油がないために価格は1.25リラから3リラに上がった」

「私たちの間では『密輸業者にならなかった男に娘はやらない』という言葉がある。国も私たちがやっていることは知っている。全て兵士の目の前で行われていた。日本からパイプ敷設機を持ってきた者すらいた。その機械は片側から掘り、片側から敷設する。水平のパイプを敷設する者すらいる。これは公然と行われていたことだ」

「一日に30~50台のタンカー分の石油が通っていた。ハタイだけで4500台のトラックがある。全てこれを使っている。アフヨンやウシャクからですら車両が来ている」

「パイプラインのそばで私の車が泥に落ちた時、兵士が装甲車で助けてくれた。その時は合法だったのに今は違法になったというのか。何が変わったのだ。」

「パイプや石油のドラム缶が差し押さえられた。一部の人たちは逮捕された。このため反発が出た。私たちはデモを行って抗議した。兵士たちは何人かを殴った」

「シリア難民が来始めた最初の日から彼らに家を開放してきた。3年間誰の助けも借りずにこの負担を引き受けてきた。援助がアスィ川からシリア側に渡るよう手助けした。負傷者を病院へ運んだ。ある晩ミナレットからアナウンスが行われた。車のある者はアスィ川へ行って負傷者を運ぶようにとのことだった。私は3 人の負傷者を運んだ。その対価として石油で儲けた。皆目をつむった。3月以降状況が変わった。今や兵士は国境に近づく者に発砲している。死者も出た」

「人々は通過するため、見張りの交代の時間をチェックしている。私の知っているある家族は通過するために3日間待ち伏せした」

話の終わりに別れを告げる時、一人が立ったまま次のように言った。

「シリアでは皆を助けた。一部のトルコ人政府関係者が国境を越えるのを助けもした。私たちは突然犯罪者になってしまった。分かった、彼らは拒絶した、それは分かった。だったら今私たちを放っておいてくれ。自由にしてくれ、私たちは仕事に戻ろうではないか、農場に戻ろうではないか。しかし兵士たちは『登記簿を見せろ』と言い、そうしないと許可しない。しかし誰も登記簿など持っていないではないか。一部の登記簿はシリアにいる親戚が持っている。私は何年間も裁判所から決定を得られない。これが適用されたのは9月12日クーデターがあった時期のことだった。」

ハジュパシャの人たちはシリアの国有財産である石油がこのようにイスラム国を豊かにするという現実に関心はない。彼らが口をそろえて言う「違法だと言うのなら、なぜ国家は目をつむったのか。市も起きていることを知っていた。市長も、軍警察だ」

つまり、イスラム国から石油を買っていた人たちは自由シリア軍、イスラーム戦線、ヌスラ戦線といった組織が支配する地域を通ってトルコ国境に運んでいた。一連となって皆が私腹を肥やしていた。しかしイスラム国のせいでトルコに目が向いた今、この仕組みを続けるのは非常に難しい。

道に燃料油のにおいがするハジュパシャを出る際、反対側の何軒かの家でシリア人女性たちが売春されたとして話題に上がった難民キャンプと、シリア軍を離れた兵士に割り当てられたアプアイドゥン・キャンプの前を通った。アプアイドゥンで起こったことをその時その場で目撃した元関係者の次の告白を記さずにはいられない。「シリア人指揮官たちは無線とパソコンが置かれた机からシリアでの戦闘を指揮していた。一部の地域が奪還された後、指揮活動はシリアの中に移った。キャンプから一晩で150人の兵士が国境を越えて戦争に参加し、その後戻ったのを私は知っている」

■トラック運転手も反抗

レイハンルのジルヴェギョズ国境ゲートに行くと、何キロにも及ぶ渋滞があった。トラックの荷物の中で最も私の興味を引いたのは、イスラム国が最もよく使うオフロード車だった。国境でストライキをするトラック運転手たちの抗議運動の3日目のことだった。車の所有者たちは密輸された石油に関する新たな適用に抗議している。2008年の法改正によると国際輸送を行う車両は550リットルまでなら国に申請なしで燃料を持ち込むことができる。しかし知事の命令でこの権利は奪われた。理由は次の通りだ。車両はジルヴェギョズを通った後、バブアルハヴァ国境ゲートに着かずに国境の間で荷物を下ろして戻ってくるため、国際輸送を行っていると見なされない。ジルヴェギョズから戻った後、3箇所に検問所がある。禁止を犯した者たちは荷台から出てきたインボイスのない石油の市場価値分の罰を受ける。2度逮捕された者の車は5年間差し押さえられる。数人が自分たちに関する告訴状を見せてくれた。ストライキをしている運転手の代理人は「なぜオンジュプナル(キリス)にはこの適用がないのか。キロ4.3リラの燃料油ではこの仕事はできない。得た金は燃料油に行く。私はトラックを5台所有している。サウジアラビアでも仕事をしている。そこから戻る際、550リットルの燃料油の権利を使っている。この燃料油を他のトラックに分けている。これはサウジアラビアの燃料油であるのにこれらのトラックは罰せられている。不満を説明しきれない」と言った。運転手たちの主張を認める人も認めない人もいる。

密輸パイプラインについてトラック運転手たちにも聞いた。運転手たちによると、ハジュパシャやサルサリンのような場所で厳しい措置が取られたが、ベシュアスランでは2本の密輸パイプラインから燃料油が来ているという。村人たちは2本のラインの収入を分け合っている。しかし流量が落ちたために2日間順番を待たなければならない。ある運転手は「分かった。イスラム国に対する対策のために石油を遮断したとしよう。だが(シリアの)兵士たちはあらゆるところを通っている。エセンテペへ行ったら分かるだろう」と述べた。私が話した2人のミニバスの運転手も国境で兵士と武器の通過が止められたとは思っていないと主張した。両方とも普段は人道支援目的だと言うが、疑わしいVIPの通行に注目していた。つまり、書類を見せただけで全く検査されずに通った人たちだ・・・。

■通過の試み

私たちがこのことを話している時、トラック運転手たちが1台の車両がストライキを破って国境を越えようとしているとの情報を受けて動いた。何十人もの人々がその車両を阻止するために検査検問所を通った。ある関係者がこの混乱の際に他の人達に「シリア人たちには注意しろ」と叫んだ。この自由な通行に私も同行した。保安検査所とパスポートコントロールを通過した。他の人たち同様、数分後、手を振って戻った。何も聞かれずに。

つまり、ハタイの国境は衝突の影響を受けたのと同じだけ、深刻な戦争から収入をも一緒にもたらした。トルコ国民同様、シリア人もこの収入の恩恵を受けた。一方、トルコはイスラム国を支援する国という烙印を押された。隣国の混乱の結果を要約する唯一のことがこの収入というわけではもちろんない。内戦が我々の国境地帯で生み出したものが3種類ある。戦争の被害者たち、戦争の指揮者たち、国境地帯に家を借り、戦争に参加する兵士たちだ。一方で金を金とも思わない者たち、もう一方では信号近くで物乞いをするシリア人たち、もう一方ではレイハンルの不安がる人々に「これらの家に残る者たちはいつかこの地帯をも手に入れようとするだろうか」と疑問に思わせる兵士たちだ。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:35333 )