エジプトでのクーデターの後、カタールへと逃れていたムスリム同胞団は、ドーハ政府を「安心させる」ために国を去ると発表した。AFP通信は、指導部がトルコを拠点とする可能性があると報じた。
ムスリム同胞団の指導部が、エジプトでの広範囲のプロテスト運動の後軍事クーデターで倒れてから逃れていた先であるカタールを去る。エジプトで「テロリズム」を理由として禁止された組織の、カタールで生活していた上層部の幹部の一人であるアムル・ダラグ氏は、フェイスブック上で行った発表で、「我々を歓待してくれたカタールの不名誉を取り除くため;拠点を変えることを望まれたムスリム同胞団の一部はこれを受け入れた」と述べた。
カタールの関係者らはコメントしていないが、エジプトのメディアはムスリム同胞団の上層部の幹部7人がカタールを去るために「1週間の期間を与えられた」と報じている。マスル・アル・アラビアのニュースサイトは、ムスリム同胞団の政治組織である自由と公正党のシェイフ・ヴェフディ・ゴニムやアムル・ダラグ、ジェマル・アブドゥル・サッタール、エッサム・タレイマ、エシュレフ・ベドゥル・エル・ディン、マフムド・ヒュセイン、ハムザ・ゼヴバらがカタールから退去するよう求められた、としている。
■「地域本部」
フランスのAFP通信は、追放された指導部がトルコを拠点とする可能性があると報じ、「現在、ムスリム同胞団幹部の一部が移動したイスタンブルはに、86年間に及ぶ運動の地域本部が置かれる可能性がある」と結論付けた。ムスリム同胞団の幹部達が国外追放されたことに関し、調査が行われるまでエジプト外務省から発表は行われないことが明らかになった。2013年6月のクーデターの後、ムスリム同胞団にカタールが手を差し伸べたことで、エジプト政府とカタール政府の関係は壊れた。サウジアラビアやアラブ首長国連邦、その他の湾岸諸国は、君主制への脅威とみなすムスリム同胞団を受け入れたため、カタールを孤立させていた。カタールから大使を引き揚げさせたサウジアラビアやアラブ首長国連邦は、ムスリム同胞団の指導部を追放することを国交正常化の前提条件として示していた。
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Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:粕川葵 )
( 記事ID:35346 )