シリアで2011年から今日まで続いている内戦およびイラク・シリア・イスラム国家(ISIS) のイラクでの迅速な展開の後、トルコの南の国境検問所の反対側には6つの異なる旗が翻っている。それらは、シリア・アラブ共和国、イスラム戦線、自由シリア軍、イラク・シリア・イスラム国家(ISIS) 、イラク・クルド人地域政府(=北イラク・クルド自治政府)、PYD(民主統一党)―PKK(クルディスタン労働者党・非合法組織)のものだ。
イスケンデルからジズレまで続く約911キロメートルのシリアとのトルコ国境は、数千人が死亡し300万もの人が避難した戦争により、この3年以上もの間痛みを伴ってきた。ハタイ、ガズィアンテプ、キリス、シャンルウルファ、マルディン県に位置する、この国(シリア)と我々(トルコ)との間にある13の国境検問所のシリア側は、様々な勢力の支配下にある。そのいくつかの国境検問所は数度、支配勢力が変わった。今日における国境検問所のうち、今のところシリア政府が2か所、イスラム戦線が2か所、自由シリア軍(ÖSO) が1か所、ISISが3か所、PKKとそのシリア支部のPYDが5か所を管理している。
■管理された商取引
ヒュッリイエト紙の報道によれば、国境検問所からトルコ国民は出国できないが、人道的支援物資が送られている。ジルヴェギョズとオンジュプの両国境検問所については、管理された商取引が可能である。アサド軍はハタイ県ヤイラダーの反対側(シリア側)にあるケセブと、マルディン県ギルメリの反対側にあるカミシュリを管理している。アフマド・イーサー・シャイフが評議会の議長を務めるイスラム戦線は、ハタイ県ジルヴェギョズの反対側にあるバブ・エル・ ハワとキリス県オンジュプナルの反対側にあるエス・セラメ国境検問所を管理している。アブドッラー・ベシルがリーダーを務めるÖSOは、カルベヤズ(イーイトオール)の反対側にあるアズマリン国境検問所を管理している。ジルヴェゴズとオンジュプナルでは、商取引は可能である。トルコからの資材は緩衝地域でシリアの車に乗せ換えられている。
■国境にかかる橋
アブバクル・バグダディがリーダーを務めるISISは、シャンルウルファ県アクチャカレの反対側にあるテラブヤドと、ガズィアンテプ県カルカムシュの反対側のジャラブルスとキリス県チョバンベイの反対側のエル・ライ国境検問所に旗を掲げている。サリフ・ムスリムが指導するPYDは、シャンルウルファ県ジェイランプナルの反対側にあるラスラユン、ムルシトプラルの反対側にあるアイン・アル・アラブ、ガズィアンテプ県アスラヒェの反対側にあるメイダニ・エクベズ、マルディン県シェンユルトの反対側にあるデルベセ国境検問所を掌握している。シュルナク県ジズレ郡には、内戦から逃げてきたシリア人が通過する唯一の橋からなる国境検問所があり、その反対側にあるアンディ」ヴァルもPYDの管理下にある。
■以下、トルコーシリア国境検問所の状況
1-ヤイラダー-ケセブ
4か月前にイスラム戦線の管理下となった。しかし、その1か月後、激しい武力衝突の後、アサド軍(シリア政府軍)が再び支配権を確立した。
2-カルベヤズ‐アズマリン
長年閉鎖され、バイラムの時のみに通行可能であった。内戦によりそれ(一時的な通行)もおこなわれていない。自由シリア軍(ÖSO)の管理下にある。
3-ジルヴェギョズ‐バブ・エル・ハヴァ
2011年末に自由シリア軍(ÖSO)の管理下に入った。2013年12月、イスラム戦線が急襲して同検問所をÖSOから奪った。
4-イスラヒエ-メイダニ・エクベズ
反対側にあるシリアのメイダニ・エクベズ地域は完全にPYDの管理下にある。
5-オンジュプナル‐エス・セラメ
エス・セラメ国境検問所は、2012年7月に自由シリア軍(ÖSO)の管理下に入った。その後、イスラム戦線の管理下となった。国境検問所にはいくつかのÖSOのグループもいるが、イスラム戦線が管理している。
6-チョバンベイ‐エル・ライ
同地域は1月にISISの管理下に入った。
7-カルカムシュ‐ジャラブルス
2012年7月に(シリア)政府軍から自由シリア軍(ÖSO)に管理が移った。同年1月初頭にISISのの手に移った。数日後の1月7日、ÖSOが奪還した。しかし、1月17日、再びISISの管理下に入った。
8-ムルシトプナル-アイン・アル・アラプ
アイン・アル・アラプ(コバーニー)国境検問所は内戦開始からこれまで、PYDの管理下にある。ムルシトプナルから人道支援(関連)とシリア人に対して1週間に二日間、通行許可が与えられる。
9-アクチャカレ‐テラブヤド
2012年9月に3日間続いた武力衝突の後、シリア軍から自由シリア軍(ÖSO)の支配下に移った。同国境検問所は、2013年12月に始まり2014年度初頭に終わった武力衝突後にISISの管理下に入った。
10-ジェイランプナル‐ラスライン
2012年11月8日に勃発し、3日間続いた激しい武力衝突の後、(シリア)政府軍から自由シリア軍(ÖSO)のものとなった。PYDがこの国境検問所を2013年10月の武力衝突の後、管理下に置いた。
11-シェンユルト-デルベスエ
(この国境検問所は)PYDによって(自治が)宣言されたロジャヴァのジズレ行政地区にある。デルベスエ国境検問所ではこの2か月間PYDの旗が翻っている。
12-ギルメリ‐カミシュリ
シリア軍の管理下にありシリア国旗が翻っている。国境検問所は、(一般の)出入国はできないが、特別許可を得た人道支援に対しては通行可能である。
13-ジズレ-アンデヴァル
(同国境は)長年、使用されていない。ただひとつの橋があり、トルコ軍兵士が警護している。反対側はクルド人地域ロジャヴァであり、完全にPYDの管理下にある。
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Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:35356 )