49人人質解放の鍵は、アラブ部族の仲介―解放の舞台裏
2014年09月20日付 Milliyet 紙


6月11日に、イラクでトルコのモースル総領事館を襲った「イスラム国(IŞİD)」の戦闘員によって人質にとられたオズチュルク・ユルマズ総領事と48人の館員は、101日ぶりに解放された。その解放作戦の詳細が明らかになりはじめている。

■国家諜報局は、人質危機の鍵をアラブ部族によって開けた

一切武力が使われなかった救出作戦のコーディネーションは、約2か月間、この地域で丁寧な仕事をおこなってきた国家諜報局によってなされた。そして、何度も居場所を移された人質の状況は、ずっと、無人偵察機によって追跡された。人質問題は、アラブ部族の指導者の力をかりて解決された。

■何度も居場所を変えられた

「イスラム国(IŞİD)」の戦闘員らは、6月11日にイラクのモースルに入り、まもなく町を制圧した。「イスラム国(IŞİD)」の戦闘員が32人のトルコ人運転手を人質にとる一方、モースルにあるトルコ総領事館にも入り、そこにいたオズチュルク・ユルマズ総領事と、3人イラク人、46人のトルコ人からなる49人を人質にとった。人質にとられた49人は、まず総領事館から出され、モースルにあるホテルに入れられた。

トルコや世界中で反響を呼んだこの事件の発生ののち、国家諜報局は、人質救出のための活動をはじめた。しかし、イラクで仲介役を期待された部族の指導者の努力は実を結ばなかった。この頃、「イスラム国」側は、49人の人質をホテルから、今度は別の地点へ移した。このやり方を繰り返し、居場所がつかまれること、強行な救出作戦の実施を防いだ。

■イラクからシリアへ

「イスラム国」側は、人質の(衣食住の)生活は保障していていた。その後、ラザマン月になると、「イスラム国」戦闘員の身の安全のために49人をイラクから出国させ、シリアにつれていった。「イスラム国」戦闘員の動きを、自分たちの要員や情報提供者をつかってフォローした国家諜報局は、イラク脱出の報をえて、人質ののっていた車列を無人偵察機により追跡した。イラクをでた人質らの車列は、最初、「イスラム国」軍が優勢な、シリアのハセキに連れて行かれた。

ここで人質の留め置かれた場所の構成を特定した国家諜報局は、総領事や館員の救出のため、作業をはじめた。しかし、「イスラム国」側は、数日後(ラマザン月の終わりごろ)、人質をまた、車列にのせ、今度は完全に「イスラム国」の統治下にある、トルコ国境から90キロのラッカの町に連れて行った。

■ラマザンの祭の前に解放の予定だった

国家諜報局は、人質のいる建物を確認していた。また、シリアでの状況を、シリアに潜入した要員、シリアの情報提供者、また無人偵察機をつかってフォローし、接触をはじめた。このプロセスを早めるため、ハーカン・フィダン国家諜報局長の命令で、国家諜報局の国外活動局長が、人質が解放された際、トルコに入国するのにもっとも適切なシャンル・ウルファのアクチャカレ郡に派遣された。

アクチャカレに到着した国外活動局長の行った折衝は、事態を前進させ、バイラムの前に人質が解放されるとの合意に至った。しかし、その後、ラッカで一部の部族が、捉えられたが名前をいわない3人がトルコ国家諜報局の要員であることを公表した。このため、人質の解放に向けての取組は、不成功におわった。「イスラム国」側はこの事件のあと、ふたたび人質の居場所を変えた。101日の間に9回、居場所をかえたことになる。

■アラブ部族が仲介

こうした展開ののち、ラッカの支配した「イスラム国」に対して最も大きな影響力をもつアラブ遊牧民の部族の協力をあおぐことになった。国外活動局長は、シャンル・ウルファのアルチャカレ郡とハッラン郡にはアラブ系の市民が多く、部族組織が機能していることを勘案し、部族の長らと折衝を始めた。それぞれの郡の部族長には、同部族のシリア側の長との接触をたのみ、人質の解放にむけ、彼らが「イスラム国」とも接触することを実現した。ラッカの有力なアラブ部族の長たちを介したこれまでの長い交渉は、ついに先週末から前向きに展開しはじめた。

■国境に、ブルーベレー隊(特殊任務部隊)、配置

国家諜報局関係者らは、前向きの展開があった場合、人質を安全にラッカからトルコを連れもどすため、作戦を練りはじめた。刻々とアフメト・ダヴトオール首相には事態は伝えられ、作戦では、あらゆるリスクが検討された。もしもの場合にそなえ、国家諜報局は、シリア国境だけがめだたないよう、トルコの各地にいる特殊チームやブルーベレー隊を集合させ配置した。アクチャカレに数日前にやってきて、国境になぜ配置されたのかが発表されなかったブルーベレー隊と特殊チームは、もしも戦闘が起きた場合にだけ動くよう、待機していた。

■昨晩、解放が決まった

良い方向にむかっていた展開は、昨晩、結実した。「イスラム国」側は、人質を解放することを、仲介にあたったアラブ部族のリーダーを通じて、国家諜報局に伝えてきた。これをうけ、非常に経験豊かで、人数も明らかにされていない国家諜報局のチームが、許可をえて、アクチャカレ国境門からシリアに入った。国家諜報局のチームは、シリアのTelabyad郡で「イスラム国」要員やアラブ部族の出迎えをうけ、一緒に車でラッカに向かった。夜半にラッカに着いたチームは、情報を知らせれ解放をまっていた人質らと合流した。そして、人質らに、トルコに向かうこと、万が一、戦闘が起きた場合、どうすべきかを説明した。

■夜明けには国境へ

国家諜報局のチームは、解放された49人を厳重な警備のもと、ラッカからつれだし、90キロの道をいき、夜明けごろにTelabyadに到着させた。人質と国家諜報局のチームは、「イスラム国」側の管理下にあるTelabyadの国境門を通過し、緩衝地帯で待っていた国家諜報局の担当署長とシャンルウルファ警察署長エユプ・プナルバシュと合流した。朝の5時頃の合流ののち、49人の人質は国境でまっていたミニバスや小型バスに分乗し、装甲車のエスコートのもと、シャンルウルファに到着した。

■国家諜報局の建物で待機

朝5時45分にシャンル・ウルファに着いた人質らは、まず、警察宿舎へ行く予定だったが、外に情報がもれないよう、これは中止になり、国家諜報局が持つ建物に入った。国家諜報局の建物に到着した人質らの身の安全が確保されたとの報は、この時点で、ハーカン・フィダン国家諜報局長官からアフメト・ダヴトオール首相に伝えられた。ハーカン・フィダン国家諜報局長官は、ここまでの展開を、一刻一刻、現場からの映像つきで見守っていた。

人質は、国家諜報局の建物で朝食をとり、健康診断をうけた。このころ、人質に含まれていた3人のイラク人は、トルコ側に帰国を願いでて、イラクに送られた。

■総領事だけが、髭をそった

人質らは、朝食と健康診断ののち、101日間、髭をそっていないとして、髭をそることを希望した。これをうけ、オズチュルク・ユルマズ総領事だけは、髭をそった。しかし、6時50分ごろにやってきたシャンルウルファ県知事のイッゼッティン・キュチュクが、間もなく首相がきて、人質を首相専用機でアンカラにつれていくことになったと伝えた。このため、人質らの髭をそりたいという希望は、首相のスケジュールがタイトであるため間に合わない可能性があるとして、実現されなかった。

■150着の背広

一方、人質らが着るものについても、作業がはじめられた。町の中心にあるある店から、背広を買ってくることになった。県の求めで店をあけられ、人質の洋服のサイズがわからないので、いろいろなサイズの背広が求められた。こうして、朝7時10分ごろには、警察官により、150着の背広の上下が、国家諜報局の建物に届けられた。店の関係者は、何着の背広上下が人質に配られたかは、返品される数からわかるだろうと述べたが、値段については、口にしなかった。

人質らは、大急ぎで新しい服をきて、すぐに警察官のエスコートのもと、バスやミニバスで国家諜報局の建物をでて、7時53分には空港についた。VIPサロンで、少し前にウルファに到着していたダヴトオール首相と合流した。人質と会い、「お疲れ様」と声をかけたダヴトオール首相は、約40分だけ滞在したウルファの空港から、今度は一緒に人質を乗せた飛行機で、9時20分ごろアンカラにむけ出発した。

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:35389 )