解放のモースル総領事、語る―14キロやせた
2014年09月21日付 Hurriyet 紙


人質から解放されたオズトゥルク・ユルマズ・モースル総領事は、「我々は、地獄から救われた」と語った。

救われた人質のうちアルプテキン・エスィルギュン氏は、ユルマズ総領事について「『イスラム国』側は、トルコの名でカメラの前で話すように強要した。2、3回、(総領事は)頭に銃口をつきつけられたが応じなかった。『撃つなら撃て。トルコの名誉を傷つけることはしない』といって死を覚悟していた」と語っていた。この件について、ユルマズ総領事自身は、NTVに対し、次のように語った。

「モスク総領事館は、あっという間に包囲された。モースル県知事は誰にもいわずに町を後にしていた。その報が流れるとあっとう間に町は陥落した。戦闘員らによって襲われた。警備カメラを爆破し、(建物の)周囲を銃撃した。襲撃から1時半後には我々は総領事館を明け渡さざるを得なくなった。彼らは、私を執務室の前に連れて行った。しかし、どの部屋も鍵が閉まっていた。この1分、45秒の間は殺されると思った。頭に銃口をあて、部屋を開けるようにいったが、私は応じなかった。彼らに『女性や子供、トルコ国旗に手を触れるなら、その前に我々を殺せ』といった。彼らは居場所をわからないようにとの策をとっていた。バスの窓をしめ、外をみせなかった。我々は、だいたい、光の入らない、暗い場所に隠されていた。」

■14キロ、痩せた

65日間、同じ食事だった。栄養不足だったのだろう、全員がやせた。私も14キロ、痩せた。(アメリカ人の)頭部切断の映像を見させられた。我々の気持ちを萎えさせるために、あの映像を見させたのだ。肉体的にひどい目にあったということはないが、脅迫はあった。死の恐怖とともに、あそこに長くはいることはできない。私が成しえたおそらく唯一のことは、その恐怖を、あの最初の日に克服したことだ。どうして(トルコの救出部隊が)武力で解放しなかったのかという問いは、私の考えでは、現実的な質問ではない。連中は、町全体を支配している。そこに「政府」をつくっている連中と、どれほど長く戦うことができるというのか。私は、トルコに到着したとき、(首相に)知らせようと思った。しかし、首相の方が電話してきて、私が「もしもし」という間もなく、「オズトゥルク、よく帰ってきた」といった。私も、そのとき、やっと『ああ、これで終わった』と思った。本当に、隷属からの解放だった。自由への解放だった。我々は、地獄から帰ってきた。家族とゆっくりしたいと思っている。」

■携帯電話をどうやって隠していたか

「(携帯電話は)我々にとって、希望の光だった。ありがたいことに助けてくれた人がいた。我々は、彼と、ずっと(携帯電話を)パスしながら携帯を運んだ。何度も出たり入ったりがあったのに、これをどうやって隠せたかは(そういうことだ)。何度も身体検査をされたのだから。ときには日に3~5回、少なくとも1日1回は、必ず(トルコと)電話で話した。どこにいて、何をしていて、何をたべているか、飲んでいるか。これは私のプライベートな電話だった。しかし、電話を隠す件は一人の人物の協力をえていた。ときには電話を解体し、そのあとまた組み立てた。たいへんだった。」

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:35395 )