米シリア空爆、「イスラム国」トルコ人司令官殺害
2014年09月24日付 Milliyet 紙


アメリカがイスラム国に対して行った空爆においてヌスラ戦線が標的とされた。空爆ではヌスラ戦線の司令官の一人であるトルコ国籍者、アブ・ユスフ・アル・チュルキの愛称を持つ38歳のウミト・ヤシャル・トプラクが死亡した。

アメリカがアラブの5カ国と共同で、シリアにおいてイスラム国とアルカイダに属する組織に向けて行った空爆により死亡したことが公表された、アブ・ユスフ・アル・チュルキの愛称を持つ38歳のウミト・ヤシャル・トプラクは、妻と5人の子供をブルサの家族のもとに残し、アサド政権、またイスラム国に対して戦うためにシリアへ向かったことが分かっている。同氏はアルカイダに属する組織であるヌスラ戦線においてドラグノフ狙撃銃小隊司令官であったとされ、トルコ訪問中のアメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュ暗殺を計画した組織のメンバーであることから逮捕され、釈放されていたことが判明した。

オスマンガズィ市で大理石商を営んでいたウミト・シャル・トプラクは、話によると2ヶ月前にアサド政権とイスラム国に対して戦うために、妻と5人の子供を同じ建物内に住む家族に残してアルカイダに属する組織であるヌスラ戦線に参加した。同氏はこの期間に家族と時々電話で会話していたとされるが今朝、アメリカの「イスラム国」とアルカイダに属する組織に向けた空爆において死亡したことが明らかになった。ヌスラ戦線ではドラグノフ狙撃銃小隊の司令官であったとされるトプラクは、2012年にイラクに行き、しばらく滞在した後、トルコのブルサに戻っていたことがわかっている。空爆で命を落としたウミトト・ヤシャル・トプラクの家族は、この件に関して何も話したくないと延べ、インタビューの要請を拒否した。 

■ DHAの質問に答えた

ウミト・ヤシャル・トプラクは、2004年4月にトルコ訪問を予定していた当時のアメリカ合衆国大統領のジョージ・W・ブッシュ暗殺を計画したが、ブルサの警察によって計画が阻止されたアルカイダに属するアンサール・アル・イスラム組織のメンバーであることから、兄弟と共に逮捕された。捕まった彼の兄は裁判で有罪判決を受けた一方、未拘束のまま裁判にかけられ、無罪の判決を受けたトプラクはドアン通信(DHA)記者の質問に答えていた。ウミト・ヤシャル・トプラクはそのインタビューで、「アメリカとイスラエルの攻撃的な政策を憎悪と呪いで応じる」と話していた。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:松井友紀 )
( 記事ID:35410 )