クルド系アレヴィーのドイツ移民サッカー選手、暴行事件を語る
2014年11月06日付 Milliyet 紙


アンカラで暴行を受け、その後国外に移民したサッカー選手のデニズ・ナキは、身に起きたことを語った。

サッカー選手のデニズ・ナキ選手は、ゲンチレルビルリイが彼を、「警察に訴えなかった」との非難に対して書面によるコメントを出した。

ナキ選手はソーシャルネットワークのFacebookに投稿し、「(チームのスポークスマンである)カイナル氏が『矛盾した発言をしている』と述べたことは、事実を反映していない」と述べた。

(以下ナキ選手の発言)

■やむを得ない発表

発生した暴行事件、その後の報道、並びにゲンチレルビルリイ・クラブの行った発表を受け、みなさまに事件の経緯をご説明する必要性を感じました。

2014年11月2日、バハチェリエヴレル地区の友人を訪問しました。食材を買うため友人宅から外出したところ、背後から3人の人物が「おい、クルド人アレヴィーのナキとはお前か」と叫びながら近づいてきました。私の周囲を取り囲み、立て続けに罵声を浴びせてきました。私がアレヴィーであること、クルド人であることがその内容でした。コバーニーについて叫びわめきました。腕になぜトゥンジェリでなく、デルスィムと書いているのかと問いました。私が彼らをなだめようとする中、左側の男が急に私の顔にこぶしを浴びせました。私は衝撃を受けました。自衛のために少し反撃しまして、すぐにその場を立ち去りました。相手が銃かナイフを持っているのではないかと思ったからです。後ろから「イスラム国(ISIS)が、お前らをどうするか知らんぞ」 などと罵倒する声が聞こえました。ひどい侮辱をされました。「これはまだ警告に過ぎない」と脅してきました。アレヴィーでデルスィム出身であること以上に、コバーニーで起きていることについての応援メッセージをソーシャルメディアにアップしたことに触れて、私がクルド人であることについても侮辱してきました。私がこの襲撃でさほど重傷を負わなかった理由は、こういうことが起こりうるということをずっと前から予測しているので、彼らの意図を推察して、最初の一撃に反撃したことと、スポーツをやっていることからでしょう。事件はこのようにして起きました。

■「62デルスィム」のサッカー選手に暴行

現場から離れると、すぐに友人宅に戻りました。チームと連絡を取り、起こったことを即座に知らせました。翌朝もチームに赴いて状況を説明しました。チームの無理解と、以前の事件について支援のひとつもなかったことから、その代わりに契約を破棄しました。これ以上この状況下にいることはできませんでしたから。私は自分のことばかり案じていたわけではありません。アンカラでは自分一人で外出できず、チームの友人たちにも迷惑がかかります。彼らの身に何かあっては大変です。私がトルコに残る理由など、もうひとつも残っていませんでした。

チレルビルリイ・クラブのスポークスマン、ハカン・カイナル氏がチームを代表して出した声明を読みましたが、それには失望させられました。そして彼の主張にひとつずつ返答せねば、という必要性にかられました。みなさんは本当のことを知る権利があります。このような時にチームの声明につきあうつもりなど、本当はなかったのですが。

ハカン・カイナル氏は、「理由がなんであれ、この襲撃を非難する。しかし、デニズ・ナキ氏は、サッカーでできなかったことを、今回の主張においてやろうとしているように思われます。なぜなら、私たちに対して行った説明とほかの者への説明が食い違っているからです」と述べています。

確かにチーム側の発表でも暴行を非難してはいますが、「しかしこの事件は司法当局に伝わっていないと同時に、彼も事件発生から2日たってから私たちに知らせてきました」という、なんとも興味深い主張をしています。事件発生の場所について矛盾があるなどということは何とも馬鹿げたことです。私は事件の細部に至るまで、チーム側と直接会って説明いたしました。ですが、あなた方はこの期に及んでも「矛盾」を捜すというのですか。報道の状況を、説明するまでもありません。新聞での報道は、ほとんどすべてが私からのインタビューなしでなされたものです。こんな「ミス」を犯すのは当然ですが。重要なのは私の証言です。もちろん、それを信じるかどうかはみなさん次第でしょう。

(注)事件が報道された日、つまり2014年11月4日のことですが、私はビルギュン紙にだけコメントを出しました。ビデオは動いていませんでした。記事では「施設から出るとき」と書かれましたが、それは誤ちだったのではないかと推測しています。この件については、新聞社側に訂正を依頼したということを、ここに記しておきます。

確かに私は司法当局に伝えませんでした。しかし、衆目の前でのエトヘムを殺害した人物、アリ・イスマイル撲殺者、14歳のベルキン少年の殺害者、ソマやエルメネッキの炭鉱労働者の犯人が、全く裁かれる気配がなく、ロボスキの犯人、これに類いする事件も明るみに出される代わりに、闇に葬り隠ぺいしてしまうような所で司法に訴える意味など、全くありません。そう考えたので、訴えませんでした。考えるに、私に暴行を加えた者が3人だったからといって、その3人だけが犯人だなどということは絶対に信じません。この3人が罪を受けようが、そんなことは大した問題ではないのです。このような考え方を持っている何百万人もの人々に対し、「司法当局」の代わりに、自ら、自分の立場と考えを放棄せず戦い続けることが、もっとも正しい道であると信じています。

またカイナル氏によれば、「我々はその時ナキ選手を求め、どのような人物かをよく認識し、どちらの腕にどんなタトゥーがあるかを知った上で獲得しました。 彼をチームの一員として加えた真の理由は、彼がそれまでに見せたサッカーのパフォーマンスでした。要は、チームの関心は、選手のタトゥーや政治信条、出生地などではなく、そのパフォーマンスにあるのです。」

私があなた方にわかるよう見せたことは、「良識のある」人、「私は人間だ」と言う人なら、だれでもしなければならないことに思えます。あなた方は私のことを単に選手とみなすこともできるでしょうし、部下としてみることもできるでしょう。しかし忘れて頂きたくないことは、まず何よりも私が「一人の人間」であるということ、また世界のあちこちで人々が殺されている中で声を上げずにはいられなかったということです。わかっていることは、コバーニーが占領されつつあり、人の命が奪われている中で、沈黙を守ることは裏切り行為です。これがあなた方の基準にそぐわないなどとおっしゃるのであれば、 何と言っていいかわかりません。

「もし彼が事件について、移住を決める前に伝えていたなら、チームとしてナキ選手の立場に立つことは誰の目にも明らかだったでしょう。ゲンチレルビ ルリイ・クラブとそのファンたちは、デニズ・ナキ選手の移籍とチームへの所属について、いつも望んでいました」とカイナル氏は言います。

起こったことを伝えるために運営側へ行ったはずです。それにもかかわらず、あなた方は「もっと早く事件を伝えていれば援助した」などとおっしゃいますね。私は早急にチームへ知らせましたし、翌朝には関係者と会いました。これ以上どう早くしろというのですか。援助の件では、あなた方を全く信用していません。その援助してくれるという方々は、最初の6か月で、私の腕にあるタトゥーが故になされた攻撃の際も同じ立場にいまいた。この時はファンのみなさんを始め、あらゆる人々から応援を頂いたというのに、チーム関係者たちからは、まったくもって一つの支援もされなかったということを、ここにも特に記しておきます。

最後に
ここでもう一度繰り返しておきます。私は「デルスィムの人間」で、「アレヴィー」です。このことに対して誇りをもっていますし、これからも持ち続けるつもりです。これは「人種差別」のような意味で使っているわけではありません。誤解されたくはありません。ほかの民族にたいして、何の偏見も持っていませんし、すべての信仰に敬意を払っています。ここを離れるにあたって、この暴行事件から逃れ、私自身の信条を曲げることはないことを、お忘れないよう。私の気がかりは、私を援助の手を差し出したチームの友人や親友たちが、私のせいでこのような襲撃にあうのではないかということです。

今回の出来事で、私の家族も非常に心配しており、家族をこれ以上悲しませることのないよう、彼らの住むドイツへ向かい、トルコをあとにしました。初期のころからずっと私を支援・応援してくれたファンをはじめとするみなさん、本当にありがとうございました。

デニズ・ナキ

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( 翻訳者:今城尚彦 )
( 記事ID:35795 )