スレイマニイェ修復の会社、敷地内に接待用のカフェ設置
2014年11月09日付 Zaman 紙
トルコの最も重要な文化遺産の一つであり、ミーマル・スィナンの建築作品であるスレイマニイェ・モスクは、利益と専有の脅威にさらされている。
モスクの修復活動を2010年に完了したギョルソイ建設は、スレイマンとヒュッレムの眠る廟を無償で修復した。廟は、2013年7月に公開された。しかし、中庭にあるギュルソイ建設の現場詰所は、1年間撤去されなかった。そして、金角湾に臨む同社の現場詰所には、選ばれた人しか入れない違法なカフェが造られていたことが明らかになった。同社は、“詰所に造られたカフェ”で、政治家や高級官僚といった要人をもてなしている。本紙は、カフェでの晩餐会の集いを慣習化している客たちの様子をとらえた。ミーマル・スィナン大学の修復と芸術の歴史の専門家であるスプヒ・サアトチ教授は、こう状況に反感を示した:「スレイマニイェ・モスクは、国民の財産である。現場詰所を撤去しなかったこと、そこでの食事会の問題は、大きな恥である。スレイマニイェ・モスクを自分の庭とでも考えているのか。なんということだ。」
ギュルソイ建設は、2010年に県の文化局と合意し、スレイマニイェ・モスクの墓地にあるスレイマンとヒュッレムの廟の修復をかってでた。2010年に始まった修復活動は、2013年7月に完了した。廟は公開された。しかし、ギュルソイ建設は自分たちが建てたモスクの金角湾に臨む庭の3分の1を占める現場詰所を撤去しなかった。国内外の観光客がイスタンブルで最も訪れる場所の一つであるモスクの庭にある現場詰所は、未だに残っている。観光客は、詰所の壁のためにその眺めを楽しめない。礼拝から出て詰所の壁が遮断する場所を通りたい人々も建設会社の警備員によって妨害される。
人々は、この状況に反感を示す中、ギュルソイ建設によってテントで囲まれ、「立ち入り禁止」という標識がつるされた詰所に違法のカフェが作られていたことが明らかになった。建設会社が何年も前に作ったこのカフェを、特にスレイマニイェに金曜礼拝に来た政治家と実業家のような要人が訪れている。詰所での会合を追っていた本紙の記者たちは、スキャンダルをスクープした。金曜礼拝のためにスレイマニイェを訪れていた要人たちは、礼拝が終わると、過去にはオスマン朝のスルタンのみに使用されていた「王の間」という名前の門から庭に出て、すぐにそこから敷地の門を抜けてカフェに入った。客は、特別な服を着た店員に迎え入れられた。
■ムエッズィンオール保健相も客の一人だった。
10月24日金曜日にスレイマニイェに来た要人の一人はなんとメフメト・ムエッズィンオール保険相であった。王の間から特別な警備とともに来た客は、礼拝の後すぐに同じ場所から外に出て、詰所に設けられたテーブルについた。10月31日金曜日も同じ光景が見られた。ギュルソイ建設代表取締役のハサン・ギュルソイ氏と公正発展党の経済担当で前副党首、イスタンブル工科大学のナズィム・エクレン教授ら数人であった。
ギュルソイ建設側は、本紙の粘り強い取材にもかかわらず、この件に関する説明を避けている。修復プロジェクトを指揮した建築士ニルギュン・オングン氏は、会社が詰所を撤去しなかったことについて、「2014年5月にすべて完了した。本来、撤去する必要があったが、モスクで起こり得る問題に対処するために私たちが残っていることは現在においても健全である」と述べた。庭で食事を提供することは普通であると述べたオングン氏は、「モスクに来た全員がこのサービスを利用できる」と述べて自分たちを正当化した。修復の合意に調印したイスタンブル県文化局はというと、この件について説明を行っていない。ワクフ総局も回答をしなかった。イスタンブル広域市インフォメーションデスクからの回答はというと以下の通りである:「スレイマニイェ・モスクの修復を完了して一時的に許可されている。あなた方が述べている会社の詰所の一部であるテントは、最終的な引き渡しがされるまでその場所で留まる許可を得ている。」
本記事は
Asahi 中東マガジンでも紹介されています。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:35824 )