コラム:求められるのは、テロよりもその支援者に対する怒り
2015年01月21日付 al-Watan 紙

■求められるテロへの怒り、より重要なのはその「雇い主」らに対する怒りか

【本紙:サイヤーフ・アッザーム】

フランスで最近起こった諸々の事件が非難されるべき、危険で、誤ったテロ行為であることに疑いの余地はない。個々人やグループによる様々なテロが危険なものである点も同様であり、それゆえこのことやその原因を過小評価すべきではない。しかし、注目を集めているのは、悲しみにくれているように見えたオランド仏大統領と連帯して、パリで行われた例の怒りのデモである。デモには、海外の様々なレベルの首脳、政府、高官が参加し、その中には、シオニストであるイスラエルのネタニヤフ首相も含まれていた。

私は、メディアが殺到したこのデモが、非常によく秩序立って、組織され、指示された偽善行為に最も近いものだといわせてもらう。そこでは、テロリスト指導者らを引きずり下ろし、彼らを世界の前に晒すために、『シャルリー・エブド』の犠牲者の血が使われたのである。

自身とその軍隊が、ガザやその他の地域で数千のパレスチナ人を滅ぼしたイスラエルネタニヤフ首相のようなテロリストが、どのようにフランス国民と団結してデモの先頭に立つことができるのか。彼は、シリアとイスラエル国境で殺人者らを手助けし、彼らをイスラエルの病院で治療している。また、シリアの国民、軍、機関を標的にするテロ組織に支援、関与するオランド大統領が、どうしてこのようなデモを組織するのだろうか。

ネタニヤフ、オランド、キャメロン英首相、オバマ米大統領、エルドアン・トルコ首相、そしてアラブ湾岸諸国の一部の為政者らのような人物は、最後にはパリの中心を襲ったテロリストらのための道ならし、支援、武器供与、訓練をしている。彼らは、最も激しく暴力的な形で、シリアやイラク、エジプト、パレスチナ、レバノン、その他の中心部を、かつても今も慈悲なく襲っている。

この「怪物」を育て、アラブ諸国民に向けて野に放ったのは、これらの為政者たちの国々や諜報機関ではないか?それなのに、どうしてパリで彼らが涙しているのか。これらの為政者は、まさに「自分で殺しておいてその葬儀に現れる」というよく知られたことわざにあてはまる。彼らは地元の人々の「雇い主」ではなく、テロの「雇い主」であり、後援者であり、支援者である。

テロへの反対を掲げていると言う、フランスやフランス国民は、デモを先導するネタニヤフ首相やその同類らの背後を歩くことを、どのように受け入れるのだろうか。また、シリアやイラクでのテロを支援し、「自衛権」という恥知らずなスローガンの下でなされたイスラエルの犯罪を正当化してきた自身の国の大統領や首相らについて、どのように沈黙を続けるのだろうか。

起こったことの認識に逸脱があったことには疑いがない。むしろ、この認識に対してはテロや殺人の後援者たちによる管理がなされていた。不安や全身の感覚の麻痺という状況下、フランス国民は怒りを正しい標的に向けられなかった。このため、以下のように言うことができる。「テロに対するパリのデモや、国際的なテロの支援者や指導者の競合は組織されたもので、彼らが手を固く携えたことは、最も悪しき欺き、偽り、詐欺の類の一つである」と。

テロの危険というのは、その実行勢力だけでなく、特定の利益や需要に従ってテロを支援、採用、利用する勢力においても具現化する。後者の勢力は、テロ活動の役割を定め、それを実行させる。彼らは自身を「自由な世界」の勢力あるいは国と位置付け、また自ら自身が「自由な世界」の国であることを求める。このため、彼らは批判や計算を超えたかのようにふるまうだけでなく、彼らの基準、物差しに端を発して、他者を基準、規律に従わせる道徳、司法、倫理にかかわる権利や権限の保持者であると称する。

しかし、実際には、植民地主義や人種差別の数百年に及ぶ歴史を経てそれら諸国は興り、発展してきた。この歴史において、数百万人が滅ぼされ、更に数百万が奴隷にされ、諸国や諸国民の富は概して略奪された。このため、これら諸国の恐ろしいテロは、偽りのペナントやスローガンのもと、国民に対する包括的な征服システムとして稼働する。「文化」の名の下、運と天に選ばれた白人の責任の名の下、人間の手をとり、自己を守るために、テロは行われる。

この勢力は、よく練られたキャンペーンを通してあらゆる侵略やテロへの道ならしをする巨大メディア間の有機的な同盟を含めた、集約、統一された戦略的な文脈で、直接的にか間接的にか、人種主義を生み出す。これは、起こっているテロが、まるで国民や人間の要求であるかのようにするため、公共の認識や国内の認識を管理及びその準備を目的としたもので、この目的の実現のために、メディアは諸国に対して、西洋人だけが持つ本能的な意識、彼らの役割、そして世界が戦争を恐れていることを語る。

他の国民に対しても、あらゆる介入や戦争が承認され、行われてきた。それは、西洋諸国及び人々の成功や価値を破壊する差し迫った危険を防ぐかのようである。そのため、先進諸国の国民は誤った、偽りの、嘘の指示の下で、戦争や破滅についての意見を一致させた。これこそが、最も威圧的で、汚く、恐ろしいテロである。ちなみに、テロに反対するデモを受けて、オランド大統領と手を結ぶことに関して、我々は読者に、いまなおアフリカの14か国が、フランスに対して、奴隷や植民化の利益として、独立以降現在に至るまで、植民地税の支払いを余儀なくされていることを注意しておく。

更に、指摘すべき別の重要な側面がある。それは、内外のメディアを通じて、いかなる諜報機関もこの事件を予測することはできなかったが、事件から1時間後あるいは同等の時刻には攻撃者たちのIDを捜査員らが発見したと豪語したフランス政府が、この人為的なデモの中で、デモはテロとの戦いと無関係だと強調していることである。それによれば、デモの関心は、新たな植民地の役割からフランス国民の目をそらすための努力、また苦境に立たされている経済的、社会的、政治的体制の寿命を延ばすための努力に対し、国内外で献身することにある。

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( 翻訳者:松尾愛 )
( 記事ID:36651 )