NATOにより建設が妨害されていたオルドゥ-シヴァス間の道路(の建設)が、黒海の厳しく険しい地理の困難な状態にも関わらず、急ピッチで進んでいる。
オルドゥ-シヴァス間の道路は、1875年スルタン・アブドゥルアズィズの時代に初めて話題に出され、1880年スルタン・アブドゥルハミド2世の時代に計画が練られたが、戦争と資金不足により実現されなかった。また、ある時代には[南下政策により]ソヴィエトの戦車が温暖な地に下ってくるとの恐怖からNATOにより建設が妨害されていた。黒海の厳しく険しい地理の困難な状態にも関わらず、急ピッチで建設が進んでいる。
現在のオルドゥ-シヴァス間の道路は、非常に困難で問題が多い。また、高所を通っているために、冬は雪により度々閉鎖される。これらを理由に、約140年前に計画が練られたにも関わらず、政治的・社会的な理由から建設がなされなかった。冷戦時代には、ロシアに占領された場合、黒海から内陸アナトリアへ容易に達することができるという懸念から、NATOにより建設が妨害されていた。この道路「谷の道」とは、現在、オルドゥ-イスケンデルン間を結ぶ775km、黒海と地中海を結ぶ道路のオルドゥ県を通る区間のことである。人びとが「谷の道」と呼ぶ、黒海の困難な地理的状態にある合計88kmの路線で続いている作業は、NATOを困らせ続けている。高速道路第7地区長のメフメト・チェティン氏は、「谷の道」工事の一環として、オルドゥ-ウズニサ間の13kmの4車線道路が2010年に開業し、ウズニサから始まりトプチャムまで伸びる路線の工事が、休み休み続けられていると明らかにした。この路線では総計15kmとなる25のトンネルがつくられるとしたチェティン氏は、「オルドゥから始まり、イスケンデルンまで伸びる総距離775kmの路線中で当該地域内の長さは、88kmである。道路のオルドゥの出口13kmは4車線道路で、41.8kmは二車線道路として完成した。計画の総経費は、約5億4000万リラになることが予想されており、計画の中には総計1万4879mの25のトンネルが含められている。2014年時点で残りの計画の費用は、1億9300万リラである。2014年内に5900万リラ払った」と述べた。
■三時間半の道のりが一時間半へ短縮される
「谷の道」は、トルコ人技術者により、更にはフェルハトのような山を削って建設された。黒海を内陸アナトリアへつなげる最短の道であるこの歴史的な「谷の道」のおかげで、現在114kmあり、危険なカーブであふれているオルドゥ-メスディイェ間の道路が88kmへ短縮される。これに伴い、三時間半かかったメスディイェ-オルドゥ間の路線も一時間半となる。325kmあり5時間かかる、オルドゥ-シヴァス間の道路は二時間半となる。
■区間と谷の道
高速道路第7地区長のメフメト・チェティン氏の情報によれば、5つの分かれた区間からつくられた建設作業は、以下の通りである。
第一区間(オルドゥ-ウズニサ) 13kmの路線は、2010年に4車線として開通している。
第二区間(ウズニサ-ギュムスキョイ) 水力発電所へ到達する道として知られる15kmのこの路線は、2A(10m)として計画された。計画の一環として、 6つ合わせて2259mのトンネルと370mの高架橋が含まれている。計画の予算が1億3000万リラになるこの路線で、2011年に始まった作業が続いている。2014年内に5.6mが、アスファルト舗装され完成する。
第三区間(ギュムスキョイ-プナルル) 20kmの長さのこの路線は、2A(10m)基準で、エネルギー・天然資源省のM・ヒルミ・ギュレル元大臣の時代にDSİ(国家水道総局)により行われた。この区間には、総計6757mになる13個のトンネルが含まれる。道路の不足部分[の作業]は、トプチャム-メスディイェ間の道路の入札の中で行われる。
第四区間(プナルル-トプチャム) 11kmの長さのこの道は、3A(8m)基準であり、トプチャムダムが含まれていたために、DSİにより無計画に広げられた。この道を通じて[ダムへの]到達が不可能になったので、その計画は2A(10m)基準で行われた。計画の中で合計2608mになる2つのトンネルが含まれる。計画の予算が1億3500万リラである作業において、2015年頭に最終入札が行われた。2014年内に7.2kmの部分がアスファルト舗装され完成した。
第五区間(トプチャム-メスディイェ) 20km規模の道路が1A(12m)基準で自動車専用道路の形で建設するよう入札がおこなわれた。計画の中に合計3290mの4つのトンネルが含まれる。
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( 翻訳者:白尾みさき )
( 記事ID:36699 )