歴史的なディヤルバクル・ノールーズ祝賀―オジャランメッセージとともに日の光
2015年03月21日付 Radikal 紙


アブドゥッラー・オジャランのPKKに対する「武装闘争放棄のための大会召集」のメッセージが代読されたディヤルバクルのノールーズ祝祭には、大勢の人々があつまった。式典の前には予想どおり雨がふったが、オジャランのメッセージが読まれはじめると雨がやみ、スッル・スュレイヤ・オンデルは、これに関し、興味深いコメントを行った。

ディヤルバクルは、何万人もの人がノールーズを祝う素晴らしい祝祭の舞台となった。ノールーズ公園には夜半から人が集まりはじまり、人々は女性も男性も民族衣装を身にまとっていた。早朝から町の中心部や周辺の郡、さらに回りの県からも、車や徒歩で多くの人がノールーズ公園にあつまった。その中には若者や子供の姿が多いのも目についた。また、このノールーズでは(シリアの)コバーニーにおける抵抗に対し強い関心が寄せられているのもめだっていた。オジャランのポスター、HDPやKCKの旗だけでなく、(シリアの)PYDやYPGの旗も掲げられた。ノールーズ公園に続く道筋に並び、Tシャツ、上着、旗を売る物売りには、YPGの旗はないかとよく聞かれたという。セラハッティン・デミルタシュの写真入りのバンダナは、デミルタシュがこの地域の人々のなかでいかに人気があるかを示していた。

ディヤルバクルの市中心部からノールーズ公園に続く裏通りでは、子供たちが手にはオジャランのポスター、緑・黄・赤の旗をふり、公演に向かう車や人々に手を振っているのがみられた。町から会場に向かう全ての車は、クラクションを鳴らし音楽をかけ、さながら勝利の祝賀の雰囲気を醸し出していた。

朝9時には会場は、人でいっぱいだった。群衆はあまりにも多く、ステージ裏にある報道・招待客席の入り口では、押し合いへし合いになったほどだ。多くの報道陣が、長い間、報道席に入るのに待たされた。

会場では、全ての歌や演説が、スローガンで迎えられた。もっともよく聞かれ、もっとも好まれたスローガンは、「ビジ・セロク・アポ」だった。アブドゥッラー・オジャランのノールーズ・メッセージは今か今かと待たれていた。
(中略)

■雨にもかかわらず・・・

この地方で数日前から続き、ディヤルバクルでも3月21日に心配されていた雨は、11時ころから降り始め、時々は激しい風も吹き、雨量がました。このため、会場の人々や報道陣も困難を味わった。

しかし、興味深く、また皆が「意味がある」と思った偶然により、オジャランの書簡が読まれるとアナウンスされたときに、突然雨が止んだ。スッル・スュレイヤ・オンデルとペルヴィン・ブルダンが書簡を代読するためステージにあがると嵐と雨はやみ、はじめて日の光がさした。

クルド人の伝統的な信仰・文化で特に重要な位置を占める太陽がアブドゥッラー・オジャランのメッセージとともに姿を現したことは、スッル・スュレイヤ・オンデルの次の発言につながった。スッル・スュレイヤ・オンデルは、書簡のトルコ語版を読みあげる前に、太陽がでたことをひき「オジャランの声が聞こえると嵐が止んだ。いつの日が自身がここに現れ、このメソポタミアの地から世界中に自由をもたらすだろう]と述べた。

オジャランの書簡が読み上げられたのち、一日中、寒さと雨のなかで待っていた群衆の一部は帰りはじめた。子供たちとともに会場に来ていた人々は帰ったが、しかし大半は会場に残っていた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:37160 )