エルドアン大統領に「新トルコ行進曲」でお出迎え、その歌詞とは…
2015年04月10日付 Hurriyet 紙
ハサン・ジェラル・ギュゼル氏の作詞作曲による「新トルコ」行進曲が、エルドアン大統領が参列した新トルコ戦略研究センターの開所式で初めて演奏された。
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は、ギョルバシュにある新トルコ戦略研究センターの開所式に到着した際に演奏された「新トルコ行進曲」を聴いた。ハサン・ジェラル・ギュゼル作詞作曲による行進曲は、アンカラ広域都市メフテル軍楽隊によって歌われた。エルドアン大統領は、その歌詞に言及し、「新生トルコの闘いは、同時に我々の『赤いりんご(訳注1)』である。願わくば、神に与えられた命の限り、我々はこの道を毅然と歩いてゆく」と述べた。
「新トルコ行進曲」の歌詞は次の通り:
「2023年、わが国は100歳となる
我らが目標は、偉大なるトルコ再び
世界的大国への道を競っている、我らは
我らの『赤いりんご』である、新トルコは
我らが指導者、レジェプ・タイイプ・エルドアン
我らの力は常にアッラーから
2071年、我らは1000年を迎える(訳注2)
超大国にならんと努力している、我らは
祖国に平和、世界に平和をもたらすのだ、我らは(訳注3)
我らの『赤いりんご』である、新トルコは
我らが指導者、レジェプ・タイイプ・エルドアン
その力は常に国民から
アッティラ、オグズ・ハン、ガーズィー・アルパルスラン(訳注4)
オスマン・ガーズィー、ファーティフ、ヤヴズ、スレイマン(訳注5)
さらには、天国に御座すアブドュルハミド・ハン(訳注6)
ガーズィー・アタテュルクである、この国家を築いたのは
国民の指導者、タイイプ・エルドアン
その力は常に民衆から
今世紀はトルコ人の世紀となるだろう
アッラーの名を広めてゆくのは、我ら
預言者の道を少しも踏み外すことなく
新トルコを打ち立てるのは、我ら
我らが指導者、レジェプ・タイイプ・エルドアン
その力は常に国民から
民主主義の確立者、殉死者メンデレス(訳注7)
我らに新時代をもたらした、トゥルグト・オザル(訳注8)
黄金の系譜の最後の環
トルコ国民はあなたのもの、エルドアン
我らが指導者、レジェプ・タイイプ・エルドアン
その力は常に彼を愛する者から
一つの国民、一つの旗、一つの祖国、それは我々のもの
一つの国家トルコ、それはわが国民のもの
同胞愛、自由、平等のために
我らの目標は新しい偉大なるトルコ
我らが指導者、レジェプ・タイイプ・エルドアン
その力は常にアッラーから」
訳注1)トルコ系民族が追い求める夢や理想の象徴
訳注2)アナトリアへのチュルク系諸部族の進出を決定づけたマラズギルトの戦い(1071年)から
訳注3)国境を維持し中立を守るという共和人民党一党支配期のトルコの外交政策を集約したアタテュルクの言葉
訳注4)左から、5世紀のフン族最盛期の王、チュルク系諸部族の伝説上の族長、11世紀のセルジューク朝第2代スルタンでその功績により「アルプ・アルスラン(勇敢なライオン)」と呼ばれた。またマラズギルトの戦いでビザンツ軍を破った
訳注5)左から、オスマン朝の始祖、同朝第7代スルタンでコンスタンティノープルを征服し「ファーティフ(征服者)」と呼ばれたメフメト2世、同朝第9代スルタンで即位にあたり兄弟およびその子弟を殺害し「冷酷者(ヤヴズ)」と呼ばれたセリム1世、同朝最盛期の第10代スルタン・スレイマン1世
訳注6)オスマン朝第34代スルタン・アブドュルハミト2世
訳注7)複数政党制移行後の1950年選挙で勝利した民主党党首で首相のアドナン・メンデレス、イスラーム緩和政策を打ち出したが、1960年軍事クーデタで処刑された
訳注8)1980年軍事クーデタ後のトルコ首相および大統領、トルコ経済の再建に努めるとともに、トルコ・ナショナリズムとイスラームを統合する「トルコ・イスラーム総合論」に基づく政策を推進
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( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:37295 )