世界各地で1915追悼の集会―エレヴァン式典にはプーチン、オランド参加
2015年04月25日付 Hurriyet 紙


1915年事件から100周年であることから、アルメニアの首都エリヴァンを始めとする世界各地で、強制移住などで命を落としたアルメニア人への追悼が行われた。エリヴァンで行われた追悼式典会場の目玉の1つは、トルコ出身のアルメニア人を母親に持つ、フランス人歌手のシャルル・ アズナヴールであった。

エリヴァンでの式典にはロシアのプーチン大統領やフランスのオランド大統領を含む4人の首脳が参加した。

プーチン大統領は、「150万人以上の命が失われた大きな悲劇であった」と語り、またオランド大統領は「今日、エリヴァンの地にあって和解に向け協力します」と発言した。

アルメニアの首都エリヴァンでは週始めの19日から、昨日(24日)1915年事件で命を落とした人々を追悼するためアルメニア人ジェノサイド追悼施設で行われた式典に向けて準備が行われた。アルメニア国民や、世界各国から、自分たちの表現では「東アルメニア」に殺到する離散者の代表者らは、何日もの間、施設にある「慰霊の火」に花を供えるため長い列を作った。しかし昨日朝の式典が終わるまでは、一般人はジェノサイド追悼施設に入れなかった。式典を主催したアルメニア共和国セルジ・サルキシャン大統領は、賓客1人1人を迎え入れた。式典参加者のうち、ロシア大統領ウラジミール・プーチン氏が最後の客で会った。

■ワスレナグサ

賓客らは、サルキシャン大統領とその妻と挨拶を交わした後、伝統衣装を身に纏い国旗をもったアルメニア人の少女らと手を繋ぎながら炎の傍に行き、それぞれ黄色のバラを置いた。参加者の大半の襟には、アルメニア人が4月24日のシンボルとして認識している紫色の“ワスレナグサ”の花の飾りがあった。 式典にはプーチン大統領やオランド大統領に加え、南キプロスのニコス・アナスタシアディス大統領、セルビアのトミスラヴ・ニコリッチ大統領も参加した。 EU委員会のアルメニア常駐代表としてトライアン・フリステア氏、ヨーロッパ議会の副議長としてリシャルド・チャルネツキ氏、そしてアメリカは財務長官ジャック・ルー氏を代表とした一行が参加した。

■転換点に

サルキシャン大統領はスピーチで、4月が単にアルメニア人のみならず全人類史にとっての黒い汚点を残しており、ユダヤ人ジェノサイドと共にルワンダやカンボジ アでの虐殺も4月に始まったと強調した。直接的なトルコへの言及はなかった。同大統領は、トルコ政府の怒りを買ったフランチェスコ教皇の言葉と共に、ヨーロッパ議会とオーストリアが承認した法案について以下のようなに触れた。

「我々は、人類が「もう二度と」という誓約を破る前に、人道に反する数々の罪を防ぐ為の解決法を見つけなくてはなりません。すなわち、アルメニア人ジェノサイドの100周年記念日は、国際的努力と言う観点から見て転換点となったかに見えます。ジェノサイドを認めた国々や国際的な組織もあります、ジェノサイドの否定を罪だとする人々もいます。これら全ては、こうしたことが、世界史における暗黒のページを明るみにするため、歴史が再び似たような形で描かれていくことを防ぐ為の唯一の方法であるという点で一致しているのです。」

■アズナヴール氏、「とても良い」

式典会場での目玉の1つとして、トルコ出身のアルメニア人を母親に持つ、フランス人歌手のシャルル・アズナヴールがいた。また有名なジャズ演奏家であり俳優でもあるアンドレ・マヌーキアン氏も同行していた。

アズナヴール氏の周りを囲っていた人の波に穴をあけて、彼の関心をひくことに成功した。トルコの新聞記者であることを告げると、マヌーキアン氏がアズナヴールをそっと止めて私の方に彼を送ってくれたことも伝えなくてはならない。アズナヴール氏は、「トルコ人か、アルメニア人か」と尋ねた。私も「トルコ人です、何か問題でしょうか」と言って彼に関わった。彼は「いやいやとんでもない、とても良いよ!また来てください。トルコ人に何の問題もありません。問題はアンカラ政府」と言った。そして彼が私たちの元から離れ、式典会場に真っ直ぐ進んで行く際、長いことトルコで彼がコンサートを行うためにアンカラから招待が来るのを待っているといった外交上の噂話を思い出した。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:37376 )