ラーリージャーニー国会議長「核問題解決のためにあらゆる外交手段を駆使する」
2015年05月24日付 Jam-e Jam 紙
国会議長は、イスラム共和国が険しい峠を通過できた鍵を献身と忍耐であるとし、「核問題解決のためにあらゆる外交手段を駆使する」と発言した。
アリー・ラーリージャーニー国会議長は、今日(日曜日)ホルダード月3日(5月24日)に、ホラムシャフル[訳注:イラン南西に位置する、イラン・イラク戦争の激戦地の1つで当初イラク軍に占領されていたが、後にイラン軍が奪回した]解放を記念した国会の戦傷者表彰式において、シャアバーン月(イスラム暦8月、西暦2015年5月20日~6月17日)の祝日の祝賀のことばとともに、議員と議会職員の中にいる数多くの戦傷者を立法機関の名誉であるとし、以下のように述べた。「このことは、イラン・イスラム共和国の活動が数々の責任を国家への献身の経歴を有し、なおかつ重大な試練に参加した者たちに委ねる方向に向かっていることを示しており、これは正しくもまた熟慮された動きである。」
彼は、会議の冒頭で戦傷病者議員らの発言の中で示された戦傷病者に貢献する議会の尽力について言及し、「議会の重要な措置の1つが、戦傷病者協会法の作成である」と述べた。
ラーリージャーニー議長は、イスラム共和国体制の長きにわたる困難な峠越えが献身と忍耐により達成された点に触れ、ホラムシャフル奪回を体制によるその成功例の1つとみなし、次のように述べた。「ホラムシャフル奪回において必要とされた基本的なものとは、理念的力の開発であった。」
彼は、バニーサドル[イラン・イスラム共和国初代大統領]大統領時代の国境防衛の困難を思い起こし、次のように述べた。「彼の意思で国の空気が変わり、戦線が一変した結果、戦場に献身の精神が広範に広がり、現場の創造力の駆使して、アーバーダーン[イラン南西に位置し、イラン・イラク戦争時に原油生産の重要拠点としてイラク軍による包囲攻略作戦の対象となった]包囲の解囲、ホラムシャフル奪回、その他相次ぐ勝利の結果となった。」
議長は、今日もまたイラン・イラク戦争時代の経験を生かすべきなのか否かという質疑に対して「おそらく経験の支えなくして、我々は現在の難局を打開できない」と述べた。
彼はまた特にマシュハドにおける演説で最高指導者が国内の力と内需の拡大を力説されたことを想起して、次のように述べた。「我々は、核問題解決のために持ちうるあらゆる外交手段を駆使しなければならない。」
ラーリージャーニー議長は、演説の別の部分で次のように述べた。「今日、我々はシリア、イエメン、イラクといった地域で米国に対して剣を抜くかわりに己の同胞たるムスリムに刃を向ける野蛮な存在と向かい合っている。」
同議長は、最後に国力を支えることが国家の大きな資本であると捉え、「イラン・イラク戦争期に培った経験を生かすことで、神は我々にその恩恵を下されるだろう。」と表明した。
ファールス通信の記者によれば、議会の戦傷病者議員及び職員は、今後も引き続き議長から賛辞を贈られるべき象徴である。(ファールス通信)
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( 翻訳者:SY )
( 記事ID:37742 )